JOURNAL #5152026.01.21更新日:2026.01.21

【能登半島地震】子どもたちに「ふるさとはここだよ」と伝えたい――石川県・珠洲事務所調整員 瀬川しのぶ

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2024年1月1日に石川県の能登半島で発生した最大震度7の大地震では、死者・行方不明者は594人(うち災害関連死364人)に上り、全壊家屋6,520棟、半壊・一部破損家屋158,120棟、加えて日本海沿岸の広範囲を津波が襲い(場所によっては4メートルを超えた)、土砂崩れや火災、液状化、それに伴う交通網の寸断などによって多くの人の生活が一変しました。

追い討ちをかけるように同じ年の9月21日に発生した集中豪雨で、さらに多くの人が家や生業を失いました。今回は2024年1月1日に大震災に見舞われた石川県・珠洲市で支援活動を続ける珠洲事務所の瀬川しのぶに話を聞きました。

※本記事は、ピースウィンズ国際人道支援Journalの連載記事を転載したものです

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「私にできることは何かありますか?」

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家電を届けながら仮設住宅に暮らす人々と交流

――地震発生当日はどこにいましたか?

瀬川:出身地である輪島市にいました。珠洲市の隣の市です。

――地震の被害に加えて輪島では大火災も起きましたが、ご自宅は?

瀬川:火災は免れましたが、実家は傾いて住めない状態になりました。母は今も輪島市内の仮設住宅で暮らしています。地元の友達の中には火事で家を失った人もいます。

――大変でしたね。どういう経緯でピースウィンズに入ったのですか?

瀬川:短大を卒業後、東京と金沢の印刷会社で働いていたのですが、体調を崩した父が醤油作りの職人だったこともあり、郷土料理に興味がわいて地元に戻ってきました。粕汁やかぶら寿司といった昔食べた料理を作ろうと思っても、祖母はすでに他界し、母の世代は作り方を知らなくて、このままだと失われてしまうと思って、珠洲で農家民宿を営んでいたご夫婦に郷土料理を習いました。

その後、巨大イカのモニュメントで知られる能登町の「イカの駅つくモール」の立ち上げに携わって、本格的にフードコーディネーターとして食を中心に能登の様々な人と繋がって仕事をしていました。そんな最中に地震が起きて、商品開発やイベントの仕事がなくなり、どうやって生きていこうかと、かなり気落ちしました。

そんな時にYouTubeなどで空飛ぶ捜索医療団ARROWSの活動を見て、母体であるピースウィンズがスタッフを募集していることを知って電話をかけました。「私に何かできることはありますか?」と尋ねたことを覚えています。正確な言葉ではないかもしれませんけれど、(現在珠洲事務所代表の)橋本さんが「おいで」と言ってくれました。

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――未経験の世界への挑戦ですね。

瀬川:はい。各地から駆けつけたみなさんは本当に支援のプロで、スキルもある。そんな様子を見ていると「私にこの仕事は務まらないかもしれない」と思いました。でも4月になって家電配布の仕事が始まったんです。仮設住宅などで暮らしている方々に必要な家電を選んでもらって、それを調達してお届けする。これなら私にもできるかもしれないと思えました。

でも、当初は自分自身にも被災者の気持ちがあるので、お話を聞きながら泣いてしまったり、複雑な気持ちで仕事をしていました。とにかく珠洲市の応急仮設住宅約1,600世帯に家電を配らなければならなかったので、「まずは、これを配り切ろう」と目標を決めて前に進みました。

あの時はやるべきことが目の前にあって本当に良かったと思います。本部や連携している企業のみなさん、学生ボランティアなど本当にたくさんの方が助けに来てくれました。私たちだけではとてもやりきることはできませんでした。

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――それをいつまで?

瀬川:2025年の春ごろ配布し終えることができました。それでひと区切りついたら、被災者の健康維持とコミュニティ支援事業などと並行して、子ども事業が始まりました。そこでまた、「私にできることは何だろう」と考えました。

地元の人間として、私にできること

瀬川:2025年暮れにピースウィンズが事務所をおいているのと同じ建物に「すずっこひろば」を開設しました。珠洲市内には子どもが安心して遊べる屋内施設が少ないので、オープンが待望されていました。この事業は2028年以降、新しい場所で市に移管される予定です。

子ども事業で私がやりたいと思っているのは、世界農業遺産に登録されている能登をふるさとに持つ子どもたちに、海や山など美しい自然の中で遊んだ記憶を残してもらうことです。能登の自然と食文化と人、その豊かさを心に刻むことのできるプログラムを「すずっこひろば」を拠点に発信していきたいと考えています。それが地元の人間として、私にできることではないかなと。進学にあたって地域外を選ぶケースが多いため、能登の子どもは外に出てしまうことが多いのです。でも、「ふるさとはここだよ」と伝えたい。

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――行政とは違う立場から被災者を支えるピースウィンズには、いろんな相談事が持ち込まれて、よろず相談所の様相を呈しているようですね。

瀬川:はい。本当にいろんな相談が持ち込まれます。先日は、地元のお寺にある仏像が購入されて外に持ち出されそうなのをなんとか食い止められないかという相談を受けました。ピースウィンズの業務でやることではありませんが、地元の伝統と文化を守りたい気持ちはとてもよくわかるので、これに関しては個人的に何ができるのか知恵を絞っています。他には、音楽イベントや学生ボランティア、病院でのイベントなど、市から依頼されたイベントの窓口になることもあります。

私は自分自身が被災しなければ、この仕事に就くことはなかったと思います。でも行政による支援の隙間を埋めるように、被災者に近い支援ができるNGOの存在を知ることができて、その仕事に携わることができて本当に良かったと思っています。最近はようやく被災者の気持ちというより、支援者の気持ちになって、被災者に寄り添うことができるようになってきました。志のある頼もしい仲間との仕事にやりがいを感じています。

瀬川 しのぶ(せがわ しのぶ)
輪島市出身。短大で経営学を学んだ後、印刷会社勤務、料理教室講師などを経て、フリーランスのフードコーディネーターとして能登を拠点に活動。令和6 年能登半島地震を受けて、2024年4月よりピースウィンズ・ジャパン珠洲事務所にて調整員を務める。

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