
JOURNAL #5292026.03.09更新日:2026.03.09
広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

ピースウィンズで管理部部長を務める角免昌俊。海外支援でNGO職員のキャリアをスタートし、過酷な現場を経験してきた彼が、日本の災害支援への考え方を180度変えるきっかけになったのが東日本大震災後の東北での日々でした。3.11の現場で見たもの、そこからNGOとしてどう災害に立ち向かっていくのかについて話を聞きました。

――2011年3月11日、どこで何をしていましたか?
その日、私は埼玉県で引っ越し作業をしていました。5日前に駐在先のイラクから帰国して、まもなく東京事務所での勤務が始まるところだったんです。ちょうど新居の鍵を受け取って、部屋の掃除のためにホームセンターに出かけた時に、地震が起こりました。
そのまま荷物をまとめて、東京事務所へ。東北に入ったメンバーのサポートとして、企業と連携をして物資を現場に送り込んだり、ボランティアの手配をしたり、調整業務に明け暮れました。事務所近辺で泊まりながら災害対応をしたので、結局、改めて引っ越し先の家に帰ったのは2~3週間後でした。

――初めて現地を訪れたのはいつでしたか?
発災から1週間後、物資を運ぶため東京から車で東北へ向かいました。当時は高速道路が通行止めになっていたので、渋谷の警察署で通行許可証をもらって、誰もいない高速道路へ。何かやらなきゃと焦りのような気持ちを覚えながら、3~4時間ほど、閑散とした道をひたすら走りました。
最初に訪れたのは南三陸町。道中の山の道は、それほど地震の被害も出ておらず普通の風景が続いていました。それが、海が見えるところまでたどり着いてぱっと視界が開けた瞬間、ほとんど瓦礫と化した光景が目に入ったんです。町があったはずのところに、何もなくなっている。とても衝撃的な光景で、今も印象に残っています。

――その後、東北に長く駐在されましたね。当時のことについて、教えてください。
1年ほど東京事務所でサポートの役割をこなし、2012年2月に気仙沼の事務所に移りました。2016年6月まで、4年あまりの駐在になりました。
仮設住宅の人たちへの支援に、子どもや高齢者の支援、商店街などでの地元の人たちの事業再開の支援、地域のシルバー人材や公民館などの活動をサポートするコミュニティ支援。また、地域のお祭りを再開するための「お祭り支援」なども行いました。
震災が起きた時の対応の記録を残したいという声を受けて、陸前高田の一つの町を舞台に、当時の記録を冊子にしたり。現地の人たちから出てくるやりたいことに答えて、本当にさまざまな活動を行いました。

――特に心に残っている支援事業はなんでしょう?
駐在前になりますが、被災者の方が仮設住宅に移るときの物資支援ですね。これから仮設住宅に移る人へ、新しく必要になる寝具や台所用品などひと通り必要なものを、まとめて提供するというものでした。気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石など多くの地域をまわり、各地で新しい生活が始まる瞬間を支援したことが、印象に残っています。
この支援を行ったのは11年の6~8月頃のことです。避難所での生活が3、4ヵ月に及んでいたので、被災者の方々は疲れ切っていました。ようやく仮設住宅に入れることになったわけですが、皆さん喜びよりも、これからの生活への不安を大きく感じていたように思います。

――東日本大震災を経験して、何か変化したことはありましたか?
私はピースウィンズの海外事業部に在籍し、海外の現場を多く経験していました。海外支援でスタートしたピースウィンズが国内に事業を拡大したとき、正直なところ、行政のしっかりしている日本でNGOの活動がそこまで必要なのか、疑問に思っていました。
しかし3.11の現場を経験し、日本にもNGOが必要である、ということを痛感しました。
例えば、避難所につく行政の担当の方は基本的に日替わりなんです。もともと自分の仕事を持っていて、通常業務と避難所業務を両立させるためにシフトを組んで災害対応に当たっています。でも発生したトラブルを当日中に解決できないとき、次の日は担当者が違うとなると、説明や状況把握がやり直しになる。対応がどんどん遅くなるのを何度も目にしました。そんななか、現場に張り付いて支援を続けるNGOだからこそできることがたくさんありました。
ほかにも、NGOには行政にはない柔軟性や身軽さがあります。避難所を優先する行政の手が届かない、自宅で避難されている方へ物資を届けたり、漁などの生業支援では、国や県の補助金が出るまでの7~8ヵ月間の空白期間を埋める支援に取り組んだりと、行政とは違う民間の強さを感じる場面がたくさんありました。

――ピースウィンズで海外支援から国内支援、寄付者とのコミュニケーション、そして今は管理部門と、さまざまな立場を経験されてきました。角免さん、そしてピースウィンズとして目指すことについて教えてください。
ピースウィンズに入った理由、そしてこの業界にいる最大の理由である「困っている人を助けたい」という根っこの部分は、決して変わりません。どんな立ち位置にあっても、災害や紛争で今までの生活ができなくなってしまった人たちに対して今何ができるか、常にその時の立場に応じて考えるようにしています。管理部部長の今は、会計や総務の面で団体運営を支え、事業部の人たちがしっかりと現場で活躍できるような体制を整えるように動いています。

私たちの事業である災害支援や難民支援は、自分たちでどこまでやるべきかの線引きが非常に難しい。でもそこで団体として歩みを止めず、将来起こり得る災害や紛争に備えてできることを突き詰めて行った結果、“ARROWS”という一つのプロ集団ができた。そして、3.11の時はできなかったような災害支援ができるようになったという結果は、とても誇れることだと感じています。
ピースウィンズ
管理部 部長
角免 昌俊
高校の数学教師を退職後、青年海外協力隊にてケニアの地方における理数科教育の向上を目的とした事業に従事。その後2004年12月にピースウィンズ海外事業部に入職。それ以降、災害時の緊急支援や難民支援、復興支援に調整員として現場で活動し、現在はピースウィンズ管理部長として組織全体を支えている。
東日本大震災
“3.11” から15年。
「忘れない」それ以上のことが
したかった。
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空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部
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