JOURNAL #3982025.01.24更新日:2025.01.24

奥能登に生きる|震災から1年、被災地の願い【#04】

2024年1月1日、地盤隆起による地割れや土砂崩れなどで道路は寸断され、家屋は倒壊。能登半島を襲った地震はまちを破壊し、多くの人が帰る家を失った。さらに9月には、復旧なかばの被災地を記録的な豪雨が襲う。

それでも、ふるさとから離れず、奥能登に生きる人びとがいる。令和6年能登半島地震から1年。被災者はなにを想い、願うのか。震災の記憶と、そのことばを聞く。最終話は、ある珠洲焼作家の願い――

中島 大河さん
金沢市出身。珠洲焼作家、陶芸家。学生時代に参加した奥能登国際芸術祭で珠洲に訪れた際に珠洲に魅せられ移住。同時に珠洲焼作家に師事し、伝統を継承する。震災で自宅と譲り受けた薪窯が被災。いつか自分の窯で珠洲焼をつくることを夢みて修復作業を続けている

はじまりは「奥能登国際芸術際」

 珠洲市では、3年に一度、奥能登国際芸術祭という市内全体が会場となる芸術祭が開催されます。その2017年の第1回目の芸術祭に、当時学生だった私は教師と学生の有志で結成した金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム[スズプロ]の一員として参加させていただきました。

「インスタレーションアート」と呼ばれる、空間そのものをアートに仕上げる手法で、私たちは珠洲市内の、ある名家の蔵の壁一面に珠洲の情景を描いた「奥能登曼荼羅」を制作しました。 

2017年奥能登国際芸術祭で展示された奥能登曼荼羅
2017年の奥能登国際芸術祭にて高い評価を受けた「奥能登曼荼羅」。能登半島地震で倒壊した家屋の下敷きになったが、一部損傷したものの壁版はなんとか救出された

芸術祭には、世界中からいろいろなアーティストがやってきて作品をつくります。しかし、どのアーティストも実は深いところの珠洲まで知らないのではないか、ならば自分たちは本当の珠洲を浮き彫りにするような作品をつくろうと話し合い、珠洲の四季をめぐるためにおよそ1年間珠洲に通いつめ、いろいろな方の話を聞きながら作品を仕上げていきました。

有名なアーティストの作品以外は芸術際終了後、撤去されるのが通例でしたが、「奥能登曼荼羅」は、そうしたメンバーと、ご協力いただいた珠洲の方々の熱量が結実したような作品で、ありがたいことに、恒久的に展示される作品に指定され保存されることにもなりました。

「奥能登曼荼羅」を制作するにあたり、月の半分は金沢、半分は珠洲という生活を続けていくなかで、珠洲の自然に癒され、珠洲に生きる多くの人たちのあたたかさに触れました。この体験が忘れられず珠洲に住みたいと思うようになり、翌年には移住していました。

住みたいところに住む

「好きな場所に住みたい」という想いが先行して移住を決めたので、特に仕事も決まっていない状況です。ただ、普通に働くのではなく、美大で学んだ自分のスキルをいかして生きていきたいと考えたとき、珠洲で暮らすならもともと興味のあった珠洲焼をやってみようと、珠洲焼作家の篠原敬さんの門戸をたたきました。

美大出身ですが専門は違うし、篠原さんからすれば突然転がり込んできて本当にやっかいな奴が来たと思われたはずです。でも、門前払いすることなく篠原さんは迎え入れてくれました。

そんな篠原さんのもとで珠洲焼を学び、その後、2023年4月に結婚。珠洲市内に作業場もある自宅を構え、ふたりであらたな生活をスタートしました。同じ頃、ある珠洲焼作家の窯を譲っていただくことになり、珠洲焼作家としてこれから本格的に新たなスタートを切ろうとした矢先に一度目の震災(2023年5月)に遭います。

このときは家も無事で、窯も少しだけ損傷した程度でしたが1月の地震では、自宅も窯も大きな被害を受け……幸いふたりとも金沢にいたのでケガなどはしなかったのですが、自宅は母屋と作業場になっていた納屋が互いに寄りかかるように傾いて、車は一台、崩れた屋根の瓦の下敷きになり全損。家は全壊はまぬがれましたが住めるような状態ではなく、すぐ珠洲に戻ることはできませんでした。

結局、私たちは避難所には入らず、しばらくは毎週金沢から通いながら家を片づけたり、避難所や友人、お世話になった方たちに差し入れを届けたり、ほかの家の掃除や片づけなども頼まれて手伝ったり。さらに若い世代が集まって子どもたちの運動会や、モザイクアートのイベントなども開催したりしました。結果的に、発災から数ヵ月はほとんど悩む時間などないくらい忙しくしていました。

特に僕の場合、一度被災地から離れ、金沢に戻って心を落ち着かせられる状況でしたので、珠洲にいる間だけでも「若い自分ががんばらないといけない」と思いながら、当時はとにかく体を動かし続けていたように思います。

それから4月に仮設住宅に入居できるとの通知を受け、5月になってようやく珠洲に戻ることができました。若い世代を中心に、度重なる災害に多くの住民が珠洲を出ていくか悩んでいますが、個人的にはこの珠洲という土地の暮らしと地震の被害は別ものだととらえていて、私たち夫婦の結論は、もう直感的に決まっていました。

住みたいところに住む。この感情を、大事にしようと。

この土地で暮らすということ

珠洲に戻り、暮らす。このことにはほとんど悩むことはなかったのですが、では今の珠洲に戻ってなにをするのか、なにをすればいいのか、これからのことについて考える時間は必要でした。

もしかしたら珠洲に戻ることは、ただ震災に負けたくないという個人的なエゴなのではないかと思うときもあります。それでも、自然あふれたところで暮らし、おいしいものを食べ、のんびり暮らしながら、珠洲焼も続けたいという自分の欲望が半分。もう半分は、この被災した珠洲で生きていくには、少し社会的な役割のようなものを意識することも必要なのではと思っています。

2024年9月、復旧半ばの珠洲を襲った豪雨被害。まさにその週末に稲穂を刈り入れようとしていた矢先の災害に農家は言葉を失い、中島さんはその姿をみるのが「なによりもつらかった」という

2023年5月と2024年1月の震災、さらに2024年9月の豪雨被害を通じて感じているのは、僕らのような若い世代が何かしていかないと“珠洲の暮らし”が失われていってしまうのではないかというおそれです。人間があらがうことができない大きな自然災害が続き、さらに少子高齢化が加速する、ある意味で日本の社会的課題が凝縮されたようなこの状況のなかで、今後、珠洲はどうなっていくのか、珠洲に生きるひとりとして、その景色を見ておかなければいけないという想いがあります。

ただその想いは、なにか珠洲の未来を変えたい、あるいは陶芸家として珠洲焼を後世に伝えたい、そうしたキラキラしたような信念や使命感とは少し異なります。

たとえば、その土地で暮らすということは、1人のことではないと私は考えています。もしも珠洲に自分の家が一軒になってしまって、ここで暮らしていますと声高にいっても、それは少し変わっているだけで、その土地に暮らしているとは言えないのではないか。そのことを珠洲の自然と人びとに、私は教えてもらったような気がしています。

鉢ヶ崎海岸から望む日本海を、幻想的な色に染める朝焼け。この光景は震災前と後でも変わらない

奥能登国際芸術祭で珠洲に通い続けたときも、移住してからも、お年寄りの方からやさしく迎え入れてもらい、本当によくしていただきました。「若いからあまえていいんだよ」「困ったことがあったらなんでもいいな」と言っていただいたり、野菜をいつも持ってきてくれたり。今、振り返れば、そうした珠洲の方々に生かしていただいていたように思います。

珠洲に来て、多くの人に助けられながら珠洲焼に触れ、海に囲まれながら田んぼや畑もあって、釣りを教えてくれる人もいる。震災は多くのものを奪いましたが、こうした珠洲の風土や人柄を傷つけるものではありません。

珠洲焼のおおらかさは、この暮らしからできたものだと僕は感じています。最先端の技術とは逆行するように、加飾はいっさいなく、昔ながらの薪窯で焼く。そこからできあがってくるものは、黒くて、素朴で、でも一つひとつが個性的でうつくしい。

この珠洲焼のように素朴でおおらかな暮らしがもう一度できれば、それで僕たち夫婦は幸せなのだと思います。

初めての窯焚きで作った、思い入れのある珠洲焼の一輪挿し。2019年の作品

今は、市のレンタル窯を借りながら珠洲焼を再開する目途もたちました。ただ、やはり自分の窯で珠洲焼をつくることは作家としてのひとつの夢でもあるので、譲っていただいた薪窯をゆっくり、時間をかけて修復していきながら、同じく被災した「奥能登曼荼羅」の作品を修復するプロジェクトなども手掛けていければと思っています。(了)

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【#01】大きいひとつの屋根の下で暮らす大家族のように
【#02】家族の選択。息子への想い
【#03】人と人のつながりが力に
【#04】この土地に暮らすということ

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