JOURNAL #5042025.12.24更新日:2025.12.24

奥能登に生きる|震災から2年、被災地の願い

広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

令和6年能登半島地震からまもなく2年が経過します。発災翌日から1日も途切れることなく支援を届け寄り添い続けるなか、私たちは多くの方から苦難や葛藤、そして、ふるさと奥能登の復興への、力強い思いを感じてきました。

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珠洲市でラーメン屋さんを営む秋房 大介(あきふさ だいすけ)さんは、大阪府出身です。
「え、なんもないやん。」
「金沢駅まで車で2時間半もかかるやん…。」
これが奥さまの和佳奈(わかな)さんの実家がある石川県珠洲市に初めて行ったときの率直な感想だったそうです。
飲食店をもつという夢をきっかけに、夫婦で石川県珠洲市に移住し、いまも長女の千陽(ちはる)ちゃんとご家族3人で暮らしています。ARROWSジャーナル連載「奥能登に生きる」続編——大介さんに、移住するきっかけや「震災があったあの日」、そして今と未来への思いを、聞きました。

突然の移住

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僕が移住することになったきっかけは、2023年初旬にちょっとした休日を利用して夫婦で珠洲に遊びに行ったときのことでした。
街ではちょうど「奥能登芸術祭」の準備をしていて、空気にも、関わるの人たちの活気を感じたのを覚えています。ただ、たくさんの観光客を迎えるにあたって珠洲には飲食店が少ないことが課題に上がっていたそうです。

もともと僕と妻はイタリアンレストランで働いていて、妻のご両親も長年、珠洲市内でイタリアンレストラン「こだま」を営んでいます。そして僕たち夫婦には”自分たちのお店を持ちたい”という将来の夢がありました。そこに、僕らのことを知った地元の方から妻に相談がありました。
「珠洲でお店やってみない?」
珠洲での経験は修行になるかもしれない。そのうえ、僕も退職が決まっていたタイミングだったので、二つ返事で珠洲に移り住むことを決めました。

本腰を入れ、いざ、開店準備を始めてみようと思ってもどこから手を付けたらよいのか模索しながらの日々でした。ご両親がお店のスペースやキッチンを貸してくれたり、本当に細かい部分の相談にも優しく知恵を貸してくれたり。そして多くの地域の方々と繋げ、支えてくれたお陰で、開店に向けて着々と準備が進んでいきました。

ラーメンが食べたい

たくさんの人たちが開店準備に協力してくださり、移住から数ヵ月後の2023年4月に路面販売のお店をオープンすることができました。
まずは市内の観光名所の一角にあったコンテナをひとつ借りて、珠洲の海と山の豊かな食材を使った洋風お弁当とドリンクを販売する、小さいけれど可愛らしいお店でした。

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それからもさらに、色々な方が声をかけてくれて、お店を営業しながら平日は高校の購買でロコモコやオムライスの販売も始めたり、本当にありがたいことに忙しい日々を送っていました。

そんなある日、お客さんからこんな声をもらいました。

「ラーメンが食べたいな」

そうだ、これから寒くなる時期だしラーメンを出したらちょうどいいかも。と共感もありましたが、今まで修行してきたのはイタリアンをはじめとした洋食が中心でした。
ラーメンの知識は全くの、ゼロ。なんでラーメンせなあかんねん!と、妻と一緒に静かにツッコミをいれながら、試行錯誤する日々が始まりました。
自分自身が好きなラーメンからアイディアをもらい、ベースになるスープは豚骨醤油にして、麺は舌触りのいい細麺にしよう。その上にはホロホロなチャーシューに玉ねぎのみじん切りだ…。
試作品をご両親や知人に食べてもらい感想を聞いて、みんなに喜んでもらえる美味しいラーメンを目指して改良していきました。

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そして2023年クリスマスイブの日、ついにラーメンも始めることができました。その日は大寒波が襲来して雪もすごく積もっていたけど、除雪作業員の方や雪かきを終えたご近所さんも食べに来てくれ、大盛況で初日を終えました。

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大盛況に終わった翌日、お店の前に積もった雪と掲げた旗を記念写真_2023年12月

大阪に戻ったら立派なお店を出せるように、ここでの修行の数年間、沢山のことを経験していこうと決意していました。

一歩を踏み出した直後の震災

お店は大晦日まで営業していました。元旦は体を休めてまた頑張ろう、そう意気込んでいたと思います。けれど、あの瞬間から大きく変わってしまいました。
発災してから数日後、僕たち夫婦は金沢にある妻の祖母の家に一泊し、そのあとは僕の実家のある大阪に移動して避難生活を送ることになりました。

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流れるテレビ放送で、変わり果ててしまった珠洲の街並みを観て、先への不安と恐怖を感じていました。とにかく今は地震のことは忘れようと遊びに出かけて気を紛らわせては、大阪に残るか珠洲に戻るのか悶々としていたのを覚えています。
珠洲に戻ったとしても飲食業は水がなかったらどうにもならないし、この状況では片付けすら進まない。大阪での避難生活のあいだ夫婦で悩む日々が続きました。

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そのなかでふと、移住してからのことを思い出しました。
それは自分たちの夢のために応援してくれた、珠洲の人たちのことです。
キッチンが欲しいと声を出していたら他の飲食店の方が駆けつけてくださり、キッチンカーを用意できたこと。
珠洲の美味しい食材を教えてくれたこと。
わたしたち夫婦が夢に向かって頑張るために、多くの人が支えてくれていました。
そして、こんな思いが僕たちに湧きあがりました。

「地震に負けたくない。」

”地震で大変だから、じゃあもう出るわ”という思いではあかん。頑張って頑張って、それでもどうにもならなかったら閉店日を決めて、今まで応援してくれた皆さんにきちんとお礼を伝えてから終わりにしようと話し合い、僕らは珠洲に戻ることを決めました。

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水道も復旧し珠洲に戻った僕らは、再開の準備をひたすら進めました。
食べに来てくれるお客さんには少しでも喜んで欲しい。その思いで食材の用意以外にも、ある工夫もしました。避難所生活が続いていた珠洲では毎日炊き出しの支援がありましたが容器はもちろん使い捨てだったので、お店ではきちんとした「お皿」で振舞いたかったんです。
些細なことかもしれませんが、使い捨て容器で食べるのと温かい陶器のお皿で食べるのとはやっぱり違うと思って。
そしてなんとか迎えた、お店再開の当日。

”避難生活で大体カップ麺やし、ラーメンなんていらん。って言われるかな”
”炊き出しもあるし、誰がお金払って食べんねんって感じかな”
…でも、用意できる食材はラーメンしかできない。ラーメンでまた頑張ろう!

不安と決意、思いには両方が入り混じりながらお店に向かいましたが、そこにはまるで僕らの不安を消し去るように、開店を待つお客さんの長蛇の列ができていました。
ラーメンを出すと嬉しそうに「美味しい、美味しい」と食べてくれ、なかには涙を流しながら食べてくれる人の姿もありました。顔を上げるたびにお客さんが増えていることに、心から安堵しました。
それから、思いがけずこんな嬉しいこともありました。

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お店の周りにはコンビニや道の駅もあり、震災前は夜でも明るい交差点でした。
それが震災後にはコンビニも早めに閉店してしまうので夜は電気も消えてしまい、信号機や街灯がポツン。ポツン。と灯る、寂しい場所に変わっていたのです。そこに僕らのお店が再開し、明るく交差点を照らしているところを見て「元気出るわ」と街の方が嬉しい言葉をかけてくれました。
何度も心が折れそうになりましたが、諦めずにここで再開して本当によかったと実感しています。

一期一会のお客さん

お店には元々珠洲で暮らす常連さんもいますが、解体作業のお仕事など遠くから出張で珠洲に来ている方もお店に来てくれます。
特にインフラの復旧工事に携わる作業員の皆さんは夜遅くにお仕事が終わるので、毎日のように営業時間ギリギリにラーメンを食べに来てくれる方がいました。そのお客さんとはいつも他愛もない話しをして、楽しい時間を過ごさせてもらっていました。

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その方がある日、あさって帰ってしまうと教えてくれました。当たり前のことですが、遠くから復旧作業のために来てくれていて、その出張期間を終えれば皆さんはもとの場所に帰っていきます。寂しさの半面、同時にありがたさも感じました。

帰ると言っていたその日、お店の前にお土産が。震災という辛い状況の中での出会いですが、本当に素敵なご縁に巡り合えたと思っています。

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変化した、夢への羅針盤が示す方向

今年1月下旬、無事に長女が生まれました。太陽のような笑顔で、明るく元気に育って欲しいと願いを込めて千陽(ちはる)と名付けました。早くも看板娘として人見知りせずに明るい笑顔を振りまいてくれています。

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それから、震災をきっかけに、これからもずっと珠洲でお店を続けていこうという思いに変わりました。海や山で採れる新鮮な食材、そして、とても親切で温かい人たちに触れ、ここにしかない豊かさを肌で感じる毎日で、あっという間にここでの暮らしが大好きになりました。

出す料理も移住してきたばかりのころは観光客をターゲットに考えていたけれど、これからは、地元の皆さんに普段使いしてもらえる、愛されるお店に成長していきたいと思っています。今後はメニューも増やしていきたいです。

でも、色んな人との素敵な出会いを与えてくれた「ラーメン」は、ずっと出し続けていくつもりです。

編集後記

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秋房さんファミリーと、珠洲事務所統括 橋本

おふたりのお店の名前は「TORITO-N(トリトン)」といいます。由来はギリシャ神話に登場する海の神様の名前だそうです。そして奥さまのご実家はイタリアンレストラン「こだま」。森の妖精です。二つのお店の名前をあわせて、珠洲の宝である豊かな自然、里山・里海を表しているそうです。
珠洲市に来た際には、ぜひ行ってみてください。美味しいラーメンはもちろん、沢山のことを二人三脚で乗りこえてこられた秋房さんご家族の笑顔も魅力です。

これからも私たちは奥能登の復興に寄り添い、子どもたちやお母さんお父さん、地域の人々が一日も早く日常を取り戻せるよう、現地で支援を続けてまいります。

あなたの寄り添いが希望に

皆様の温かいご協力が、能登の未来を照らす確かな光となります。
ぜひ、歳末のふるさと納税で災害支援活動に参加してください。

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広報:
空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"ジャーナル編集部です。災害に関する最新情報と、災害支援・防災に関わるお役立ち情報をお伝えしています。

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