
JOURNAL #5282026.03.06更新日:2026.03.06
広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

ピースウィンズの国内事業部次長として数多くの災害現場で支援活動に携わる橋本笙子。2024年1月の能登半島地震で被災した珠洲市に駐在し、現在も石川県珠洲市災害対応検証委員を務めながら珠洲市の復旧・復興に奔走。日々被災者と向き合っています。およそ30年にわたり災害支援に携わってきたなかで、東日本大震災はどのような災害だったのか。昨日のことのように話す“3.11”の記憶とその後の15年、そしてピースウィンズ、空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”のこれからの災害支援のあり方について話を聞きました。

―― 2011年の3月11日、この日、橋本さんはどこで何をされていましたか。
当時、私は特定非営利活動法人ADRA Japanに所属し、アフガニスタンのバーミヤンというところで学校建設の支援をしていました。あの日は、首都カブールにいて金曜日でイスラム教の国であるアフガニスタンは休日で、朝からホテルで東京の事務所とチャットをしていたら、「大きい地震があったから、一旦建物から避難します」とミーティングは中断。急いでホテルの食堂に行ったらテレビで日本の映像が流れていました。
一体何が起こったのか……ショックでしばらく立ちすくみました。それから日本と怒涛のごとく連絡を取り合い、逐一状況を知らせてもらいながら航空会社に向かい、カウンターですぐ日本に帰りたいから一番早いフライトを調べてくれと伝えたら「日本は沈んだ」と言われました。
「違う違う、あれは仙台空港で……」と説明をしながらとにかく日本への便を調べてくれと交渉して、なんとか日本に帰ってこられたのは15日のことです。
途中、トランジットの空港や飛行機の機内で「日本人か」と聞かれ、「日本のために本当に祈っているよ」と多くの人に声をかけられながら帰国しました。
―― 東日本大震災から15年が経った今も、当時の記憶はまだ鮮明に残っていますか。
すべての光景、出会ったすべての被災者を忘れることはできません。そのなかでも特に被災しながらも支援する人たちのことは深く印象に残っています。家も生活も、なかには家族も失うという経験をされながら、被災地のために奔走している方々の姿は、本当に言葉がありません。
なかには「助けられなかった」という、本当に苦しい思いを抱えながら、それでも今、目の前の生きている人たちのために働いている方々と一緒に行動するなかで、「私たちが(支援を)やらなければ」と、逆に奮い立たされながら支援活動をしていました。そのとき感じた思いは、今も深く、鮮明に心に残っていて、現在の活動の源にもなっています。

―― 橋本さんは2024年1月1日に発生した能登半島地震以降、現在も被災地の珠洲に駐在して支援活動を続けています。東日本大震災と能登半島地震の支援を比べたとき、変わらないこと、変わったことはありますか。
災害支援で何をすべきか、被災された方々のために何をすればよいのかという根本的な考えは、いつの時代も変わりません。そのなかで、具体的に支援活動を行うにあたって行政との連携が重要であることも共通しています。
しかし、東日本大震災の当時の災害救助法では、それが良いか悪いかではなく、行政は指定避難所だけを支援するという時代でした。その災害救助法の縛りから、行政からはこの支援はしないでほしいと言われたこともあります。
私たち支援団体は、行政のための支援をしてるわけではありません。当然、受け入れることはできず、私たちは独自に支援を実行しますと、怒られながらも私たちができる支援を行いました。
その後、2020年にピースウィンズに入職し、能登半島地震の支援では珠洲市とは目線が一致した中で支援を進められたと感じています。今までにいくつもの災害が起き、そのたびに被災者支援はどうあるべきか、という議論が積み重ねられ、国の考え方も大きく変わりました。2025年には災害救助法が改正され、「場所の支援」から「人の支援」へと考え方が転換されました。
―― 東日本大震災の支援でできなかったことが、能登半島地震の支援ではできるようになった。
たとえば海外の災害支援では、クラスターミーティングと呼ばれる、国連機関、政府、NGOなど多様な支援機関が集まり、分野ごとにどこで・誰が・何をやるのか調整する会議があります。しかし、日本にはそうした仕組みがありません。
そのため日本では、いろいろな人が支援にあたり、良い意味でも悪い意味でもそれぞれができることを、それぞれの場所でやるというカタチでした。
その弊害として、東日本大震災のとき、さらに遡れば阪神淡路大震災のときから、報道されるところに支援が集まり、避難所にたどり着いた被災者だけが支援対象となっていたなかで、逆に報道されないところには支援が集まりにくいという状況が生まれていました。
こうした阪神淡路大震災や東日本大震災で浮き彫りになった課題に対し、国や地方自治体も取り組むようになり、誰ひとり取り残さない支援を行う、その共通の思い、目線を持って一緒になって支援を進められるようになったことは、東日本大震災から15年経ったなかで大きく変わったところで、とても意味のあることだと思っています。

―― 橋本さんは、これまで数多くの被災地で支援を行ってきましたが、災害支援を行ううえで、大切にしていることを教えてください。
今後、起きうるすべての災害で、一人ひとりの尊厳について考える支援を大切にしていきたいと思っています。
人間の尊厳とは、自分の生き方を一人ひとりが選択し、その選択が尊重されることだと考えています。 一人ひとりが生きるということに対してさまざまな選択があり、当事者はいろいろなことを考えて、その選択をされています。なかには、本当に大丈夫かなと心配になる選択をする人もいますが、それがその人の尊厳であり、その決断を尊重し、支えていくことが本当の意味で寄り添う支援だと考えています。
―― 一人ひとりの尊厳を守り、被災者に寄り添った支援を行う、そのために必要なことはありますか。
聞くこと、ですね。その人のお話に耳を傾けること。もちろん、こういう選択肢があるという“情報”を伝えることも必要ですが、でもその人の想いや話を聞いたうえで、その人が決断した選択を最大限に尊重することを心がけています。
―― そうした思考は、どのようにできあがっていったのでしょうか。
強く考えるようになったきっかけは、東日本大震災です。当時、福島県に隣接する宮城県山元町を拠点に支援活動を行っていましたが、それは原発事故のために支援が届いていなかった福島県での支援を考えたからです。福島県の支援では、最初、県からは福島県内に残った被災者だけを支援してほしいといわれました。でも、全員が同じ被災者で、苦渋の選択のなかで県外に避難した方が大勢います。

―― 福島は被災地のなかでも、地震や津波被害のほかに、原発というとても複雑な問題を抱えていました。
福島の支援については、支援団体のなかでも意見が分かれていました。支援者自身の安全確保という観点からも支援するべきではないという決断をされた支援団体もいます。
でも、現実的にそこに暮らしていた人たちがいます。これからどこで暮らせばいいのか。甚大な被害が出た南三陸や岩手で今日生き延びるための支援も必要でしたが、その一方で、福島も目に見えない不安を抱え、先行きがまったく見えない状況でした。
宮城や岩手で被害の大きい海岸線の被災地を支援するべきか、それとも福島の人びとを支えるべきか、団体としても私自身も、本当に悩みました。最終的に支援が行き届いていなかった福島を支援することに決めましたが、すると原発事故の影響があるのに本来ならばそこには住むべきではないのに、支援をするから住み続ける人がいると非難する声が挙がりました。
一方で、県外に避難された方々にはまた別の苦難が待ち受けていました。避難したその先々で、子どもたちがばい菌扱いされたり、出ていけと罵倒されたりすることがあったのです。
誰に、なにを、どう支援すればよいのか。福島での支援は、支援する側にとってもとても苦しい現場でした。
―― 一人ひとり事情も、大切にするものも違う、だからこそ一人ひとりに寄り添う支援が必要だと。
複雑な背景が絡むなかでそれぞれの事情を抱えながら一人ひとりが本当に悩み、残るか離れるか、苦渋の選択をしている。その決断に対して、制度で支援の内容が変わってしまうようなことはあってはならないし、まわりがとやかく言う問題でもない。東日本大震災の支援を続けているなかで、心の底からそう思いました。
こうした一人ひとりの決断が異なる状況下で、手を、声を挙げた人だけを助けていては、どうしたって支援からこぼれてしまう人が出てしまいます。どの被災地にも、手を挙げられない、声を挙げられない人たちがいます。
面で大きな支援をすることも必要ですが、同時にその目に見えない、声にならない声をどう見つけて拾っていくか。この両方の目を持って支援にあたることはとても難しく、大きなチャレンジではありますが、これからも私たちが大切にしていかなければいけないことだと思っています。
ピースウィンズ国内事業部 次長
橋本 笙子
約8年システムエンジニアとして就労後、国際協力NGOで広報、支援者対応、国内外の事業管理等を担当し24年勤務。2020年9月よりピースウィンズへ入職。2024年1月より珠洲市に駐在し支援活動を統括。石川県珠洲市復興計画策定委員会有識者会議委員、珠洲市災害対応検証委員会委員。
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