JOURNAL #5262026.03.04更新日:2026.03.04

【3.11の記憶とこれから#04】東北は、私の人道支援の入り口――ポーマン真理子

広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

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10数年にわたり世界各国の支援現場を歩き続けてきたピースウィンズ海外事業部のポーマン真理子。あの日、遠く離れたシアトルで震災の報を受け、その2ヵ月後に東北の地に立ち、被災地を奔走しました。未曾有の混乱の中、変わり果てた景色を前に胸に刻んだ決意とは。そして、世界中の過酷な現場を経験してきた彼女を突き動かし続ける情熱の源泉はどこにあるのか。

東日本大震災から15年の節目を迎えた今、彼女の原点である東北への想いと、テクノロジーが進歩してもなお「一人の人生」に寄り添い続ける理由を聞きました。

突然、森の中に大きな船が現れた

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2011年3月20日、岩手県陸前高田市

――2011年3月11日、どこで何をされていましたか?

私は、シアトルの自宅で寝る支度をしていました。夜の11時を過ぎた頃、友だちからメッセージや電話が届いて「日本で地震だよ」と教えられたんです。最初は「日本はいつも地震があるから大丈夫」なんて返していましたが、「本当にすごいことになっているから!」と言われて、急いでニュースをつけました。

そのときは言葉を失いました。アメリカにいたので、翌日からは各所からの電話対応に追われることになり、それから2週間は、夜もほとんど眠れないような日々が続きました。

――実際に支援の現場に入られたのは、どのタイミングでしたか?

最初に東北へ行ったのは、2011年5月の初旬でした。東京から自分で運転して向かいました。とてつもない震災だということは分かっていたので、ピースウィンズ・アメリカからの出向という形で、6月から正式にプロジェクトチームに加わりました。

最初のうちは東京で、仮設住宅に入る方のための家電調達や、イオンさんをはじめとする企業さんとの調整や海外からご寄付くださった方々への対応を担当していました。その後、現場に入って仮設住宅への配付をお手伝いするようになったのですが、初めて被災地を目にしたときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。

山の中を運転しているのに、突然、森の中に大きな船が現れたんです。「なんだ、これは」と絶句しました。そこから海まではまだ車で40分以上かかるような場所なのに……

道中、船や車があらゆるところに転がっていて、本当に見たことがない光景の中をひたすら走っていました。当時は『復興』なんて言葉を考える余裕もなくて、「これからどうなっちゃうんだろう」という思いしかありませんでした。

――あの日から今日まで、忘れられない経験や光景はありますか?

たくさんありすぎて選べないほどですが、私にとって東北の震災に関わったことは、間違いなく人生の転機でした。

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仮設住宅入居者のための生活必需品支援に駆けつけてくださった連携企業のスタッフの皆さん

そこで一緒に汗を流した仲間、共にプロジェクトを動かした提携団体の皆さん、そして現地で出会った方々。その出会いの一つひとつが、今の私にとって『一生の宝物』です。今の私は、ある意味であのとき出会った人たちに導かれてここにいるんだな、と感じるくらい、多くのことを勉強させてもらいました。

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生業支援でカキ処理場に防風フェンスを設置。現場での調査にあたった(右 ポーマン真理子)

まさに東北が、私の『人道支援の入り口』だったんです。日本での1年半を経て、そこから10数年、ずっと海外駐在として現場を歩んできました。ピースウィンズとの出会い、そして東北での日々が、今の私がある原点だと思っています。

絶望の淵にいる人に、独りではないと伝える

――支援の現場に立ち続けるなかで、「変わらないもの」は何ですか?

それは、『人が好き』だということですね。誰かのために何かをすることで、何かが変えられる。そのプロセスを現地スタッフやその家族、みんなでつくり上げていくのが、私はすごく好きなんです。

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2026年2月18日_インドネシアスマトラ島洪水で被災した学校

15年前も、先週行ってきたインドネシアの現場も、災害で大変な目に遭っている方々の苦しみは同じです。これだけテクノロジーが発達したのに、なぜ救えない部分がまだあるのかと、人間の無力さを感じることもあります。

でも、だからこそ、私は“人”に寄り添い続けたい。10年、15年経っても「あのときはありがとう。今、こんなに元気になったよ」と言ってもらえる。そんなふうに、誰かの人生の歩みに寄り添い続けられるなら、これ以上の喜びはありません。

――昨年、大船渡山林火災の緊急支援で久しぶりに東北の現場を訪れて、どう感じられましたか?

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2025年4月14日_岩手県大船渡市。山火事の被害にあった被災地に出動し支援にあたった

大船渡は当時かなり通った場所ですし、街を歩けば、あのとき支援した商店街の標識が今も残っている。それを見た瞬間、当時のチームの顔や、共に汗を流した光景が溢れ出してきて、胸がいっぱいになりました。

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2025年3月4日、岩手県大船渡市山林火災の緊急支援にて。避難所でバイタルチェックを行う空飛ぶ捜索医療団 看護師

当時に比べて、今のピースウィンズは支援の幅がぐんと広がっています。災害医療支援のプロフェッショナルチームである『空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”』ができたことで、目に見える物資の支援だけでなく、人の心に深く刻まれたダメージや、命に直結する医療ケアに対しても、より専門的に貢献できるようになりました。

月日を経て、またこうして進化を遂げたピースウィンズとして現場に戻ってこられたことは、私の大きな誇りです。

――これからピースウィンズで叶えたいことは何ですか?

支援の現場は、常に過酷です。テクノロジーがどれだけ発達しても、自然災害の前で人間は無力さを突きつけられます。でも、だからこそ、最後に必要なのは“人の志”なのだと信じています。

私が叶えたいのは、支援をしたそのときだけでなく、10年後、15年後にまたその土地を訪れたとき、そこで暮らす人たちと「あのときは大変だったけれど、頑張ってよかったね」と笑い合える未来をつくることです。

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東北で学んだ「一人ひとりの人生に寄り添う」という原点は、今の私の活動すべてに流れています。大切なのは、これからも高い志を持ったスタッフが、現場で培った知恵と想いを次世代へと共有し続けていくこと。私たちはこれからも、世界中の困難な場所にいち早く駆けつけ、最後の一人まで寄り添う『支援のプロ』であり続けたいと思っています。

私たちの活動は、私たちだけで完結するものではありません。15年前、東北で家電ひとつを届けることができたのも、今、世界の裏側で命を救うことができるのも、その想いに共感し、支えてくださる皆さんの存在があるからです。

人道支援とは、単に物やお金を送ることではなく、『絶望の淵にいる人に、独りではないと伝えること』。その連鎖を止めないために、これからも私たちと共に歩んでいただけたら、これほど心強いことはありません。皆さんの志を、私たちが責任を持って現場の力へと変えていきます。


ピースウィンズ・ジャパン
海外事業部/マネージャー
ポーマン 真理子
2010年からピースウィンズ・アメリカに所属し、東日本大震災支援事業に携わる。その後、2013年にピースウィンズ・ジャパンに移籍し、主にアジア地域の事業を担当。2024年から東京事務所にてアジアパシフィック地域の統括として従事。


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空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

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