JOURNAL #3862025.01.01更新日:2025.01.04

元日に発生した令和6年能登半島地震「空飛ぶ捜索医療団」は陸路を進んだ【震災の記憶と記録#01】

ライター:若月 澪子

2024年1月3日珠洲市内

2024年元日に奥能登地方を襲った「令和6年能登半島地震」。この地震発生時に、どこよりも早く現地の医療支援に駆け付けたのが、NPO団体ピースウィンズ・ジャパンが運営する災害医療支援チーム「空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”」である。

その代表を勤めているのが空飛ぶ捜索医療団のプロジェクトリーダーとして20人もの医療、救護、被災地支援のプロを束ねる、医師の稲葉基高。日本海に手を伸ばす半島の指先の珠洲市で、彼らの能登半島地震の支援活動はスタートした。地震発生から1年が経った今、稲葉の目を通して当時の記憶と記録を振り返るドキュメント連載・第1回――

サッカー天皇杯は地震速報へ切り替わった

「こんな穏やかな正月は久しぶりだ」

そう思っていた、2024年元旦の夕方だった。

「お父さん地震だ、震度6とか7!」

中学生の長男が、リビングでくつろいでいた稲葉の前に飛び込んできた。部屋の時計は午後4時10分過ぎを指している。

3人の子どもたちはテレビで天皇杯のサッカー中継を観戦していたところだった。岡山市内の自宅で正月を迎えていた稲葉は、遅い朝食の雑煮を食べてからは特にすることもなく、妻と80代の母と他愛もない話をしていた。

テレビ画面には「能登半島 最大震度7」の字幕スーパー。国立競技場の緑の芝生のフィールドの実況がプツリと途切れ、アナウンサーの顔に切り替わる。そのまま画面は石川県珠洲市の風景になり、地震の揺れでドドドと家が倒壊していく様子が映し出された。

「これは、行くしかないやろ」

稲葉の頭にスイッチが入る。救命救急センターにいるときに、救急車から連絡が入る際のあの感じ。すぐにスマートフォンで空飛ぶ捜索医療団のグループLINEを開く。まずはメンバーの現在地の確認をする。

「現在地の報告を」
「実家です、岡山にいます」
「横浜です」
「高知にいます」
「神戸です」

次々と看護師やレスキュー隊員などからのリプライが入る。このときのために訓練を重ねてきたおよそ20人のメンバーだ。それぞれが正月休みで、家族や友人たちとの時間を楽しんでいたことだろう。

「あんたが行かんといけんの?」

正月のために実家から呼びよせていた母があっけにとられるなか、妻や子供たちは「いつものことだ」と言わんばかりに出発の準備の手伝いをはじめていた。

陸路を進む「空飛ぶ医療団」

2024年1月1日神石高原町のピースウィンズ本部
2024年1月1日神石高原町ピースウィンズ本部。発災直後には出動を決定し、メンバーは続々と参集した

災害緊急支援チームである空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”は、民間団体だ。国からも自治体からも、そして被災した被災者からも、出動要請があるわけではない。「被災現場の人の命を救う」それだけの使命感が出動の原動力である。たとえそれが、年に一度の元旦であっても……。

能登半島の正月は雪だろうか。稲葉の住む温暖な岡山と違い、極寒の被災地。冬用に準備しているモンベルのダウンコートをクローゼットから取り出す。「使い捨てカイロが不足しているから準備しなければ」必要な装備を描きながら、ピースウィンズが本部を置いている広島県神石高原町へと、車で新年の道を走らせた。

本部には、次々と空飛ぶ捜索医療団の赤の制服を着たメンバーが到着し、装備の確認を行った。もはや一人として正月気分を漂わせる者はいない。

「空飛ぶ」という冠がある以上、ヘリコプターで駆け付けるのが一番早いが、今は夜。物資の輸送にも車が都合がいい。時刻は、地震発生から4時間半が経過した19時50分。まず第一陣の医師1名(稲葉)、看護師7名、レスキュー隊員1名の合計8名が車3台で出動した。

目指すのは能登半島の突端にある石川県珠洲市。半年前、珠洲市で地震が起こったときに、空飛ぶ捜索医療団は現場の支援に入った経験がある。しかし、陸路からどこまで近づけるかは、行ってみないとわからない。

車内のラジオは、被害状況を伝えるアナウンスが流れ続けた。車はメンバーが交代で運転し、救助に備え体力を温存し仮眠を取る。

ただチームを率いる稲葉にとって、移動中は貴重な情報収集の時間でもあった。

最初のミッション

現地の情報は錯綜していた。被害状況、交通状況、この正月にどれくらいの規模の救助が現地に入るのか、それから「自分たちにできることはあるのか」。

「どこまで車で入れそうですか」
「消防はどこまで入っていますか」

これまでに稲葉は、空飛ぶ捜索医療団に所属する前から国内外のさまざまな被災地で、医療支援にあたってきた。東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨。それぞれの被災地で連携した災害支援の官民の組織、「DMAT(ディーマット)」「JMAT(ジェーマット)」「日本赤十字」「HuMA(ヒューマ)」(※1)、消防や自治体。すでに顔見知りであり、災害支援のプロとして繋がっている人たちがいる。

それぞれの団体に所属する医師や関係者に、電話、メール、チャット、フェイスブック、LINE、あらゆる連絡手段と人脈を駆使して情報収集する。まるで伝書鳩を一斉に放つかのように。

これらの支援団体と連絡を取るのは、情報収集以外の意味合いもある。「ピースウィンズが現地に入る」。そのことを各所、特に公的機関に認識してもらうためだ。「支援に入るなんて聞いてない」「勝手な真似はするな」。「ピースウィンズ」のような民間の支援団体がこうした横槍を入れられるのは、「被災地あるある」だからだ。

何か問題が起こったとき、「あいつらは呼んでもないのにきた」と言われてしまうこともある。横のつながりを利用し「ピースウィンズ」「空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”」の現地入りを各所に伝えておくことは必須事項だった。

災害医療支援組織のなかでも、空飛ぶ捜索医療団は2019年にできたばかりの新参者だった。機動性は高いが、知名度は低い。使える人脈は使い、地道な実績で信頼を得ていくしかない。そうした積み重ねがなければ、自分たちのような若い団体が被災地で医療支援活動を行うことは難しい。

ただ、今回の能登に関しては、下地ができていた。

前年5月に、奥能登でマグニチュード6.5の地震(※2)が起こった。このとき、真っ先に駆け付けたのは空飛ぶ捜索医療団だったのだ。珠洲市の健康増進センターと連携して住民の医療相談などを展開し、すでに強いパイプを築いていた。

さっき、空飛ぶ捜索医療団は、地震が起こるとすぐ健康増進センターの所長である三上豊子に電話を入れた。奇跡的につながったとき、彼女は切迫した声で言った。

「助けてください!」
「すぐに行きます、落ち着いて」

稲葉たちは、山陽自動車道から東海自動車道を矢のように進み、途中からは国道で金沢を目指した。金沢に近づくと、100台もの消防車が大渋滞をなしている。稲葉たちの車はその赤色灯の流れに乗ってノロノロと進んだ。

どうやら土砂崩れや道路の損壊で、目的地の珠洲市は陸の孤島になっているらしい。稲葉は本部と連絡を取り、途中からはへリで珠洲市に入ることにした。そのために、まず奥能登の入り口にある「のと里山空港」を目指そう。

金沢を離れるに従って、暗闇のなかから徐々に地震の爪痕が目の前に現れた。アスファルトは裂け、タイヤはいつパンクしてもおかしくない状況。道路にまで土砂や電柱がはみ出し、行く手を阻んでいる。押しつぶされた家屋には、寒さに震えながら助けを待つ人たちがいるだろう。

奥能登の夜が明ける。すでに地震発生から12時間以上が経過していた。(つづく

取材・文=若月 澪子

※1)いずれも官民の災害医療支援の団体。「DMAT」は厚生労働省、「JMAT」は日本医師会がそれぞれ組織する。「HuMA」は民間NGO
※2)2024年1月1日とは別に、奥能登では2023年5月にも地震が起こっている

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WRITER

ライター:
若月 澪子

フリーライター 1975年生まれ。NHKで契約のキャスター、ディレクターとしてローカル放送の制作にあたる。結婚退職後に家事と育児のかたわら、借金苦、就活、中高年の副業に関する取材・執筆を行う。著書に『副業おじさん 傷だらけの俺たちに明日はあるか』(朝日新聞出版)

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