JOURNAL #3912025.01.08更新日:2025.01.08

なぜ被災地支援は混乱するのか。現地に入る支援チームが一番最初に行うべきこととは【稲葉基高の記憶と記録#03】

ライター:若月 澪子

1月2日避難所で開設した臨時診察所にて暗闇のなか診察する稲葉医師

2024年元日に奥能登地方を襲った「令和6年能登半島地震」。この地震発生時に、どこよりも早く現地の医療支援に駆け付けたのが、NPO団体ピースウィンズ・ジャパンが運営する災害医療支援チーム「空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”」である。

その代表を勤めているのが空飛ぶ捜索医療団のプロジェクトリーダーとして20人もの医療、救護、被災地支援のプロを束ねる、医師の稲葉基高。日本海に手を伸ばす半島の指先の珠洲市で、彼らの能登半島地震の支援活動はスタートした。地震発生から1年が経った今、稲葉の目を通してあらためて当時の記憶と記録を振り返るドキュメント連載・第3回――

混乱する被災地

1月3日珠洲市鵜飼周辺の様子

東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨……これまでに起こった日本の災害で、毎回のように課題になること。それは、現地にさまざまな医療支援チームが入るものの、それらを一つにまとめて調整する機関がない、あっても上手く機能しない。めいめいがバラバラに動き、結果的に支援が行き届かず、被災地が混乱するという現実だ。

また、医療チームが自衛隊や消防などと連携をとる難しさも常に課題となっている。稲葉自身、その点には長年歯がゆい思いをしてきた。稲葉は被災地においてこそ、リーダーの存在が不可欠だと考えている。

「リーダーシップのある人間がさまざまな支援チームを束ねて調整することが望ましい。そうした人間には、コミュニケーション能力、そして人格的能力も必要だ」

ただし稲葉自身、これまでに経験した被災地で、こうした中心的な役割を担ったことはなかった。

2024年1月2日、稲葉ら空飛ぶ捜索医療団がヘリで珠洲市に入ったとき、すでに地震発生からまる一日が過ぎようとしていた。

珠洲の情景に稲葉たちは言葉を失った。アスファルトは裂けて隆起し、マンホールが蓋ごとモグラたたきのように地面から飛び出している。家々の多くはぺしゃんこになり、道路にまで木材が崩れ落ち、戸口に残された正月飾りは、寒風に吹かれはためいていた。

素朴で美しい田舎の風景は、大地震によって破壊されていた。

1月2日珠洲市総合病院に向かう稲葉医師と空飛ぶ捜索医療団スタッフ

稲葉たちは、まず珠洲市総合病院に向かった。病院のロビーには、ケガをした人や具合の悪い人だけでなく、避難者までもが相当数押し寄せており、かなり混乱している。診察室のパソコンやモニターは倒れたまま放置され、医療スタッフの顔にはすでに疲労がにじんでいた。

「ここには被災した患者が、避難所からも次々押し寄せてくる。そうすると病院では抱えきれない。トリアージ(治療や搬送の優先順位を決めること)をしなければならないのに、そのスペースもない。稲葉先生たちに避難所に行ってもらえると、助かるんだけど」

院長に要請され、稲葉はすぐに空飛ぶ捜索医療団のチームをいくつかに分け、避難所を回ることにした。稲葉が看護師と向かったのは、およそ300人が避難していた珠洲市立緑丘中学校だ。

「横になると起きられなくなる」

1月2日避難所内の一角に臨時診療所を開設する
1月2日避難所内の一角に臨時診療所を開設する

体育館に入ると、疲れ切った表情で毛布に包まった人たちが、冷たい床に無秩序に腰を下ろしていた。この場にいる半分以上は高齢者だ。実際、珠洲市の高齢化率は5割を超えている。

「地震のときに家の中で倒れてきた家具で頭を切ったり、足を切ったりしていた人がいます。まだ血が出ている人もいます。ここには薬も包帯もなくて」

以前、珠洲市に支援に入ったときに知り合った、地元の保健師の女性を偶然見つけた。稲葉は具合の悪い人を彼女に集めてもらい、一つの教室を借りて「臨時診療所」を開設した。

すぐに廊下には、体の不調を訴える避難者が20人ほど列をつくった。診察を求めていたのは、不安で眠れない人、普段飲んでいる薬がないと困っている人、家具で頭を打ち血のりがべっとりとついたままの人もいる。

電気の通っていない学校は、日暮れとともに人の顔も見えないほど暗くなる。稲葉はキャップ帽に照明をくくりつけて診察にあたった。

1月2日避難所の臨時診療所にて診察する稲葉医師

18時ごろ、診察がひと段落してから、稲葉は校内を見て回った。トイレには流せないまま排せつ物が溜まり、異臭を放っている。電気も水もない避難所は、雨をしのぐだけの場所でしかない。

昨日避難してからずっと、車椅子に座りっぱなしという高齢女性に出会った。地震発生から24時間以上が経過しているのに、一日中同じ体勢で、ウンチもおしっこも垂れ流しの状態だった。

「お母さん、横になったほうがいいんじゃないですか。車いすから降りたほうが」

稲葉がそう声をかけたら、彼女はか細い声で答えた。

「おれ、横になると、もう起きられなくなるけ」

このような人を一刻も早くここから避難させなければ、数日で命の危険がある。

「この地震は想像以上に被害規模が大きい。それでも被災者の年齢が若ければ、食料と水があれば何とかなる。しかし、珠洲市にいるのは半分以上が高齢者だ。かなりのリソースを必要とする」

ケアが必要な人は、被災地の外に出す必要がある。透析患者など、大きな医療資源が必要な人もだ。しかし、金沢市への道は土砂崩れや地割れで、搬送には時間がかかり過ぎる。移動はどうすればいいのか。

稲葉はすぐにDMATや赤十字などの知り合いに連絡し、珠洲市への医療支援チームの派遣を要請した。そして、こうした支援チームを束ねる調整本部を、一刻も早く立ち上げることが不可欠だと判断したのだ。

支援者をひとつにした三上本部長の言葉

1月3日、稲葉は珠洲市健康増進センターを拠点に、のちに「保健医療福祉調整本部」となる会議体を立ち上げた。被災地に入る医療チームや薬などの医療資源、さらには水や食料、生活物資などは限られている。不足したり、余ったり、偏ることがないように分配するため、リソースと情報を集約する場だ。

本来なら、こうした調整本部は厚生労働省DMATが中心になって組織される。しかし、3日の朝の時点で珠洲市に着いた医療関係者は、空飛ぶ捜索医療団と愛知の個人病院の支援チームなど、数チームだけだった。

「三上(さんじょう)さん、調整本部の本部長になってください」

稲葉は空飛ぶ捜索医療団が身を寄せている珠洲市健康増進センターのセンター所長、三上豊子にリーダー役を頼んだ。

「わかりました…。やるしかないですよね。何とか一緒に頑張ってみます!」

三上の顔には疲れがにじんでいたが、この状況に立ち向かうしかないという覚悟が目に宿っている。被災地の人と上手くやるためにも、本部長は三上がいい。ただ三上自身も被災者である。彼女は家族で正月を迎えたときに地震に見舞われながらも、すぐに市役所に登庁し、押し寄せる市民の対応に追われてきた。

これからDMATや赤十字などの支援チームが、続々と珠洲市に入ってくる。医師、それも災害支援チームは救急医がメインで、彼らはどちらかというと自己主張が強い、個性的なタイプが多い。ここで調整本部を三上に預け、稲葉が現場に入ってしまうと、彼女に負担をかけることになるだろう。

稲葉は2018年の西日本豪雨で被災地に入ったときの、調整本部を思い出していた。あのときは複数の医療支援チームがおのおのの主張を繰り広げ、怒号が飛びまくった。

「その方針だと意味がない」
「こんなことをやって意味があるのか」
「俺たちはそんなことのために、被災地に来たんじゃない」

被災地では、支援チーム同士のトラブルも起こりやすい。調整本部が機能せずに、現場が混乱した例は数えきれない。

「ここは自分が調整本部に残り、実質的な調整役を担ったほうがいいだろう。本当は医師として避難所を回って被災者支援をしたい。でも今は本部にいないと、最悪の場合、現場が破綻する」

医師は、医師の指示でないと動かしにくいという事情もある。稲葉は、ほかの災害支援チームにも顔が効く自分が、副本部長として三上を補佐することが、現場を回すにはベストだと判断した。

1月3日健康増進センターに設置された保健医療福祉調整本部におけるミーティングの様子
DMAT、赤十字、HuMAなど全国から続々と医療支援チームが集結した

調整本部では、さっそく朝のミーティングを開いた。

稲葉は会議室に珠洲市の地図を貼り、どこの避難所に何人の避難者がいるか、孤立した集落にはどれくらい人がいるか、それに対し現地に入った医療支援チームのリソースを書き出していった。

「とにかく孤立集落には、車で行けるところまで行ってみてください。まずは情報を集めるところからはじめないと」

学校や公民館などの避難所のトイレ環境を改善するため、汚物処理や掃除をはじめることも決めた。また、自宅避難者のなかにも医療を必要としている人がいる可能性もあり、医師と看護師で個別訪問も行うことになった。

保健医療福祉調整本部の朝会にて支援者を激励する三上豊子本部長
保健医療福祉調整本部では毎日ミーティングが開催され、情報共有がおこなわれる。写真は朝会にて支援者に声をかける三上本部長

「みなさん、被災者の方に会ったら、笑顔を置いてきてください。私もみなさんの笑顔に助けられています」

保健医療福祉調整本部の本部長であり被災者でもある三上が、出発前の医療支援チームを激励した。支援チームは、赤、青、オレンジなどそれぞれの団体のカラーのユニフォームを着て区別されている。しかし、三上の言葉でこの場にいる支援者がひとつになった。医師や看護師たちは、絶望に震える被災者を元気づけることが自分たちの仕事なのだと、あらためて胸に刻んだのである。(第2話へ|第4話につづく)

取材・文=若月 澪子

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ライター:
若月 澪子

フリーライター 1975年生まれ。NHKで契約のキャスター、ディレクターとしてローカル放送の制作にあたる。結婚退職後に家事と育児のかたわら、借金苦、就活、中高年の副業に関する取材・執筆を行う。著書に『副業おじさん 傷だらけの俺たちに明日はあるか』(朝日新聞出版)

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