JOURNAL #4562025.07.28更新日:2025.07.30
広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部
空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”。名のとおり、私たちの支援活動でなくてはならないのが「空」を使った機動力です。メンバーの迅速な出動はもちろん、駆けつけることが困難な地域からの救出や患者搬送など、一刻を争う緊急支援活動の現場を支えてきました。
今回は空飛ぶ捜索医療団の仲間であるヘリコプターパイロットの堀川に、これまでの支援活動でのエピソードやパイロットになったきっかけを聞きました。
支援活動に携わり2年ほど経った2018年7月、237名もの犠牲者を出した「西日本豪雨」が発生し、私たちパイロットは当時、災害救助犬・ハンドラー、レスキューチーム、稲葉医師らをヘリコプターに乗せ、本部のある広島県神石高原町から特に被害の大きかった岡山県の現場に向け出動しました。
この災害は6月28日から7月8日にかけて西日本を中心として広い範囲で大雨が続き、河川の氾濫や土砂災害が発生するなど各地で甚大な被害があり、この豪雨の48時間雨量は広島県広島市や岐阜県高山市などの100地点以上で観測史上最多を更新していて、被災地に近づけば近づくほど悲惨な光景が一面に広がっていました。
その後の調査で総合病院が浸水しているとの情報を受け、すぐさま向かいました。
病院は浸水によって停電・断水を起こし、院内に取り残された職員の方や入院患者さんが必死に助けを求めている状況でした。
酸素吸入が必要な心不全患者の方など8人を安全な総合病院までヘリコプター2機を駆使し、もう1人のパイロットと手分けをして日没までピストン搬送しました。
一方、歩くことができる11人の患者さんや職員の方々はレスキューチームがボートで院内に入り助け出しました。
その後神石高原町にある本部に戻りニュースを確認すると、患者さんの搬送を要請した総合病院の院長のインタビューが流れていました。
涙ながらに当時の逼迫した状況や、支援への感謝の気持ちを話されているのを観た瞬間、支援活動に携われていることへの感謝の気持ちが溢れたのを覚えています。
支援活動の記録詳細はこちらをご覧ください▶西日本豪雨 被災者支援(2018年7月~)
2024年元日、発災当日に陸路から出動した緊急支援チーム第1陣に続き、1月2日朝、第2陣をヘリコプターに乗せて私たち航空部門のスタッフも出動しました。
お昼ごろに現地到着以降、珠洲市内の病院から安全な場所にある病院へと患者さんを搬送したり、道路が寸断され、だれも駆けつけられていなかった孤立集落へと緊急支援チームのメンバーを乗せて向かうなど、あらゆる支援を空から届けるためにフライトを繰り返しました。
寸断された陸路からの支援を補うため、そして、数えきれないほどの余震が続き更なる被害が懸念されていたので、私たち航空部門のスタッフも2月末ごろまで被災地にとどまり、孤立集落や患者さん搬送でのフライトはもちろん、待機時には炊き出しや物資支援などに携わりました。
能登半島地震・豪雨の被害を受けた被災者の方々への支援活動は現在も、現地に常駐するスタッフによって続いていますが、被災者の方々が一日も早く日常を取り戻せるよう心から願っています。
支援活動の記録詳細はこちらをご覧ください▶能登半島地震 緊急支援
自然災害は、いつどこで何が起こるか分かりません。万が一のことが起きてから行動に起こすのでは、災害緊急支援の現場では遅すぎるのです。
航空部門にはパイロットのほかに整備士、空港などへの離着陸の申請やフライトスケジュールの管理などを行う運航管理スタッフが安全なフライトのために、整備作業や離島への支援活動などを行いながら日々勤務しています。
医療支援やレスキューなどと同様に、本当に必要なときに力を発揮するためには訓練は怠れません。空飛ぶ捜索医療団は災害医療支援船 Power of Change(チェンジ号)も運用していますが、その船にはヘリパットも設置しています。
たとえば大規模な災害が発生した場合、その被災地周辺では多くの医療機関が機能不全に陥り、適切な処置が間に合わずに助かるはずの命がなくなってしまう「未治療死」が出るとされています。
そこで私たちが空からチェンジ号に傷病者を搬送し、臨時診療にあたったり一次避難所としても活用することで、被災地への支援体制を補う「最後の砦」としての機能を果たします。
けれど、洋上で動いている船にヘリコプターが離着陸することは、実は簡単なことではありません。
特に沖に停泊する船を着陸目標とすると波によって大きな揺れも伴うので、船員との意思疎通や特別な感覚・技術が必要です。そのため、各パイロットが沖での船舶離着陸を想定した訓練にも励んでいます。
幼いころから空の世界にあこがれていました。飛行中のヘリコプターを見かけては「かっこいいな~」と足を止めて眺める、よくいる少年でした。けれど、自分がパイロットになる未来は想像もせず、社会人になりサラリーマンとして通信関係の会社に就職し、日々取引先を回って電話交換機を取り付けたり修理をしたり、社内ネットワーク機器のメンテナンスをしていました。
26歳のころ、その仕事で訪れた東京消防庁での出来事でした。庁舎の玄関に引退したヘリコプターの実機が飾ってあるのが目に留まり、それを見た瞬間、衝撃が走ったのを今でも鮮明に覚えています。
「まてよ、人生一度きりだ。好きなことをやってみよう。」と。
その時の衝撃波で人生の歯車が動きオーストラリアでライセンスを取得し帰国後29歳の時、仕事にもできるように事業用操縦士のライセンスも取得しました。個人所有のヘリコプターの操縦士などを経て、2016年から現在までピースウィンズの支援活動に携わっています。
あの時の「衝撃」によってライセンスを取得してから今年で29年が経ちました。
だれを乗せたとしても、できる限り快適な環境で、いち早く目的地まで連れて行くことが自分の仕事だと思っています。
目の前に助けを求める人がいれば、「助けたい」と思う気持ちは、ほかの空飛ぶ捜索医療団のメンバーと同じです。
僕らが行けば助かるのだったら、どこへでも行きます。
これからも「空」から、人、物資、救出など、あらゆる支援を迅速に届けられるよう、努力していきたいと思います。
JOURNAL #456
ヘリコプターで命を救う_ARROWSパイロットのリアルストーリー【#2】を読む▶
アエロスパシアル AS350 エキュレイユ
ピースウィンズのもとに来る前から、東北地方にあるNPO団体で医療、災害支援、防災、教育、地域活性化など、あらゆる支援の現場で活躍した大ベテラン機体です。
42年前に製造され平均寿命を超えてもなお現役。ただエンジンを含むほとんどの部品は修理を重ねて世代交代をしているので、製造当初から残っているのはボディ部分くらいとのこと。
パイロット曰く、居住性も比較的よく少しの時間でストレッチャー仕様に、あるいは物資を運びたいときにも簡単に空間を変えることができるなど、状況ごとに迅速な適応が必要とされる支援活動に向いています。
また、飛行距離も長いので遠方の現場調査にも向かいやすく、使い勝手が良いそうです。
▶諸元 | |
乗員(名) | 1 |
定員(名) | 6 |
全長(m) | 12.94 |
全高(m) | 3.02 |
ローター直径(m) | 10.69 |
空虚重量(㎏) | 1,241 |
最大離陸重量(㎏) | 1,950 |
動力(HP) | チュルボメカ アリエル1B、641 |
▶性能 | |
巡航速度(kt) | 110 |
超過禁止速度(kt) | 147 |
最大飛行時間(分) | 3時間20分 |
実用上昇限度(m/ft) | 4,875 /16,000 |
WRITER
広報:
空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部
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