
JOURNAL #5222026.03.02更新日:2026.03.02
ライター:大久保 資宏(毎日新聞記者)

東日本大震災は、発生からまもなく15年を迎えます。2万2200人を超える犠牲者を出した戦後最悪の自然災害は、地震による津波が町をのみ込み、原発事故をも引き起こしました。国難の危機をきわどく回避したとはいえ、復興への道は険しく、今なお大勢の人たちが不自由な生活を強いられています。人々の暮らしに大きな爪痕を残した東日本大震災とはどのような災害だったのでしょうか。1人でも多くの命を救うために過去の災害を振り返る「災害の記憶」。第4回は、2011年3月11日に発生した「東日本大震災」を取り上げます。
【関連記事】津波に備える|津波から命を守るために知っておくべき備えと避難行動~3.11の記憶と教訓~

東日本大震災は、東北地方を載せた陸側の北米プレートと、その下に沈み込んでいる太平洋プレートの境界で起きた地震です。上盤が下盤に対して東向きにずれ動くことで生じる「海溝型プレート地震」の典型とされています。
三陸沖を震源とする東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分に発生しました。国内観測史上最大のマグニチュード(M)9.0。1900年以降、世界で4番目の規模であり、そのエネルギーは阪神大震災(M7.3、1995年)の1000倍とされています。この巨大地震が海底、大地を揺らし、最大30m超の高さの津波が沿岸部に襲いかかりました。
気象庁によりますと、
を観測。北海道から九州にかけての列島のほぼ全域が震度7~1の揺れに見舞われ、人的被害は12都道府県にわたっています。
関連死を含めると、2025年3月1日現在、死者1万9782人、行方不明者2550人。犠牲者の62.5%は60歳以上で、その比率は人口比で60代1.4倍▽70代2.3倍▽80歳以上3.3倍で、高齢者ほど高くなっています。死因は、溺死92.4%▽圧死・損壊死・その他4.4%▽焼死1.1%▽不詳2.0%。
住家被害は、全壊12万2053棟▽半壊28万4074棟▽一部損壊75万69棟に及びました。また、被害総額の約17兆円は日本の国家予算の約2割にあたります。
■人的被害(2025年3月1日現在)
| 都道府県 | 死者 | 行方不明者 | 負傷者 |
|---|---|---|---|
| 北海道 | 1 | 3 | |
| 青森 | 3 | 1 | 110 |
| 岩手 | 5,147 | 1,107 | 213 |
| 宮城 | 10,571 | 1,215 | 4,148 |
| 秋田 | 11 | ||
| 山形 | 3 | 45 | |
| 福島 | 3,948 | 224 | 183 |
| 茨城 | 66 | 1 | 714 |
| 栃木 | 4 | 133 | |
| 群馬 | 1 | 42 | |
| 埼玉 | 1 | 104 | |
| 千葉 | 22 | 2 | 268 |
| 東京 | 8 | 119 | |
| 神奈川 | 7 | 137 | |
| 新潟 | 3 | ||
| 山梨 | 2 | ||
| 長野 | 1 | ||
| 静岡 | 3 | ||
| 三重 | 1 | ||
| 大阪 | 1 | ||
| 高知 | 1 | ||
| 計 | 19,782 | 2,550 | 6,242 |
■犠牲者の年齢分布(2012年3月11日)

■住家被害(2025年3月1日現在)
| 都道府県 | 全壊 | 半壊 | 一部損壊 | 火災 |
|---|---|---|---|---|
| 北海道 | 4 | 7 | 4 | |
| 青森 | 308 | 701 | 1,005 | 11 |
| 岩手 | 19,508 | 6,571 | 19,068 | 33 |
| 宮城 | 83,005 | 155,131 | 224,202 | 137 |
| 秋田 | 5 | 1 | ||
| 山形 | 14 | 1,249 | 2 | |
| 福島 | 15,483 | 83,698 | 141,065 | 38 |
| 茨城 | 2,637 | 25,054 | 190,537 | 31 |
| 栃木 | 261 | 2,118 | 74,173 | |
| 群馬 | 7 | 17,679 | 2 | |
| 埼玉 | 24 | 199 | 16,511 | 12 |
| 千葉 | 807 | 10,313 | 57,505 | 18 |
| 東京 | 20 | 223 | 6,570 | 35 |
| 神奈川 | 41 | 459 | 6 | |
| 新潟 | 17 | |||
| 山梨 | 4 | |||
| 静岡 | 13 | |||
| 計 | 122,053 | 284,074 | 750,069 | 330 |

「地震の規模、津波高・強さ、浸水域の広さ、広域にわたる地盤沈下、人的・物的被害の大きさなど、いずれも想定していた災害のレベルと大きくかけ離れていた」
東日本大震災について中央防災会議の専門調査会はこのように指摘し、座長をつとめた河田惠昭・関西大社会安全研究センター長は9つの特徴をあげます。
1.犠牲者が12都道府県に及んだ「スーパー広域災害」
2.地震、津波、原発事故からなる「複合災害」
3.電気・ガス・水道などのライフラインを長期間機能不全にした「長期化災害」
4.大津波の襲来で被害が拡大した「大規模津波災害」
5.高齢者や障害者ら要介護者が多く被災した「社会脆弱災害」
6.防波堤などの多くが決壊、損壊した「対策不全災害」
7.平成の大合併によって少数職員で広いエリアをカバーしなければならず災害時の行政サービスの低下を招いた「市町村再編災害」
8.災害に詳しい職員が市町村に少なく的確な方針を示せない「専門家不在災害」
9.道路輸送に偏り過ぎたために起きた「物流災害」
上記に加え、応急対応の視点から「未経験性」をあげるのは、室﨑益輝・神戸大名誉教授(防災計画学)で「時代とともに災害は進化し、広域の放射能汚染に代表されるような未経験の被害が発生した」としています。
複合災害を構成する「地震」「津波」「原発事故」についてみていきます。

建物の多くが倒壊した直下型の阪神大震災に対し、海溝型の東日本大震災では、全体の被害に比べると家屋倒壊は稀でした。建物の多くが、耐震性の高い「雪国仕様」だったこともあり、地震に伴う圧死や損傷死は意外に少なかったといえます。
とはいえ、東京の九段会館では天井が落下して2人が死亡するなど全国で少なくとも90人が犠牲になり、茨城、千葉、東京、埼玉、神奈川の広い範囲で液状化現象が発生。マンホールが持ち上がって砂が噴出し、家屋や電柱が傾いたり、沈下したり、電気・ガス・水道などのライフラインにも被害をもたらしました。
さらに、首都圏では、交通機関が不通となり、約550万人(内閣府推定)の帰宅困難者が出て歩道は混雑し、約9万4000人が勤務先や駅周辺、都の施設などで一夜を明かしました。

全犠牲者の90%以上、全壊家屋のほとんどが津波によるものです。
地震が起きると、海底が隆起したり沈降したりします。これに伴い、海面が変動し、大きな波となって伝播するのが津波です。海が深いほど早く伝わり(時速80~800㎞)、水深が浅くなるにつれて速度は遅くなるとされています。ただ、遅いといっても時速40㎞程度です。
【主な津波の高さ】
・福島県相馬市 9.3m以上
・岩手県宮古市 8.5m以上
・岩手県大船渡市 8.0m以上
・宮城県石巻市鮎川 7.6m以上
・茨城県大洗 4.0m以上
・宮城県女川漁港 14.8m(痕跡から)
【主な遡上高】
・宮城県県女川町 43.3m
・岩手県宮古市 40.5m
遡上高(陸地の斜面を駆け上がる津波の高さ)だと、高いところで、ビルの13~14階に相当します。
国土地理院によりますと、青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県62市町村における浸水面積は合計561㎢。これは、東京23区(約627.5㎢)に迫る大きさです。
仙台平野などでは防潮堤が相次いで決壊し海岸線から約5㎞の内陸にまで浸水。住宅や農地、商圏、工場地帯などに壊滅的な被害を与えました。
災害時に司令塔的な役割を担う自治体庁舎も例外ではなく、岩手県では沿岸12市町村のうち陸前高田市と大槌町の庁舎が沈み、文書記録や機器を消失。宮城県では沿岸15市町村のうち南三陸町と女川町の庁舎もすべての機能を失い、石巻市と気仙沼市の合同庁舎も下部が水没して利用できなくなり、被災者対応や復興に向けた取り組みに支障が生じました。

国内初の炉心溶融(メルトダウン)、水素爆発、放射能漏れ……。想像を超える深刻な事態に直面したのが福島第1原子力発電所です。
地震発生から2日間、事態が刻々と揺れ動く中、福島県や国、首相が相次いで付近住民に避難するよう呼びかけました。
▽3月11日午後8時50分
福島県が半径2㎞内の住民1864人に避難指示
▽3月11日午後9時23分
国が半径3㎞内の住民に避難指示、半径10㎞内の住民には屋内退避を指示
▽12日午前5時44分
菅直人首相が半径10㎞内の住民約5万人に避難指示
当時、約16万5000人が避難しましたが、その避難指示区域は現在、8割以上縮小されています。しかし、大熊町や双葉町、浪江町などの一部地域は帰還困難区域(2025年8月26日現在、309㎢)のまま、今なお2万4000人が避難生活を送るなど長期化しています。
農作物や農地・水産物・資材などが汚染されたことで、生産者は出荷・生産停止に追い込まれ、県産品の価格も低下。観光客が減るなどの風評被害も起きました。
福島原発を巡っては、除染作業とともに2051年までの廃炉に向けた燃料デブリ(核燃料)の試験的取り出しが続いています。

阪神大震災以降、国の基盤観測網(地震観測網とGPS観測網)が整備され、さらにこれらの観測データが広く公開されるようになりました。それにより、地震学の研究は飛躍的に進歩したとされています。なのに、なぜ、史上最大規模の地震を予測できなかったのでしょうか。
海野徳仁・東北大名誉教授(地震学)によりますと、地震が基盤観測網の外側(太平洋下)で発生したことが背景にあるといいます。「既存の陸上の基盤観測網で地震前のプレート境界の振る舞いを検出するには不十分な検知能力しか持っていなかった。海底地震計と海底地殻変動観測点の数は限られており、しかもそれらの観測システムがオンライン・リアルタイムでなかった」としています。
「従前の想定手法の限界」と指摘するのは、中央防災会議の専門委員会です。
日本の地震研究は、過去数百年に起きた最大級の地震のうち切迫性の高いと考えられる地震が対象でした。その際、震度と津波高などを再現できる震源モデルを次に起きる最大級の地震として想定し、再現できなかったものは発生確度が低いとみなし、想定の対象外としてきたのです。
過去に起きた可能性のある地震とは「869年貞観三陸沖地震」「1611年慶長三陸沖地震」「677年延宝房総沖地震」などですが、これらを考慮していませんでした。
海野名誉教授は「100年間も地震がほとんど発生していないのだから、普段から安定すべりを起こしていて、ひずみは蓄積されてはいないだろうと考えたのが誤りであった」「(陸上GPSの検知能力の限界であるが)地震学を永年専門としてきた者として深く反省し、地震学のレベルの未熟さを克服する努力をしていかなければならない」などと強調。専門委員会も「反省する必要がある。今後は確度が低くても地震・津波被害が圧倒的に大きかったと考えられる地震については十分考慮する必要がある」としています。

三陸地域は、過去に津波被害が多く発生し、住民の津波への備え・意識は高いとされています。今回、大津波警報が発令され、また津波の到達まで岩手県沿岸部で約30分、仙台市内で約50分あり、速やかに避難していれば多くが助かった可能性があります。にもかかわらず、なぜ、大勢の人が命を落としたのでしょうか。
主な原因として考えられるのが、以下の4点です。
気象庁は地震発生3分後、地震規模をM7.9と推定したうえで「宮城県6m、岩手・福島県3m」と予想、大津波警報を発令しました。しかし、実際はM9.0で当初予想をはるかに上回る津波が到達し、避難の遅れや被害拡大につながった可能性があります。
現在、気象庁は、M8.0を超える地震の第一報では数値で示さず「巨大」「高い」と表現するように改めています。

多くの地域で津波浸水範囲(ハザードマップ)を上回りました。浸水想定区域や過去の津波到達範囲外での犠牲者が多数いたことから、ハザードマップの信頼性が揺らぐこととなりました。

安全な場所にいる人、いったん避難した人が家族を探しに行ったり、迎えに行ったり、通帳・印鑑・遺影・衣類などを取りに自宅に戻ったりしたことで、津波に巻き込まれたケースが複数報告されています。

橋や踏切、交差点などで同時多発的に渋滞が発生し身動きが取れなくなる中、津波に襲われたケースが多くありました。
このほか「高齢者、障害者のための車椅子が圧倒的に不足していた」(河田・関西大社会安全研究センター長)との指摘もあります。

国難ともいえる危機的状況に海外も含め、さまざまな支援が展開されました。
阪神大震災で問題とされた初動対応の遅れの反省から改善されたのが、自衛隊の自主派遣や広域緊急援助隊・緊急消防援助隊の設置、さらには災害派遣医療チーム(DMAT)の整備などです。地震発生28分後の午後3時14分、政府は緊急災害対策本部を立ち上げ、かつてない規模の救助・支援に乗り出しました。
・緊急消防援助隊の約4,000人が被災地に集結
・自衛隊は1日最大10万人の規模で支援
・警察庁や消防庁、海上保安庁も自衛隊とあわせて派遣部隊(2011年5月17日まで延べ約2万6500人)を組織
関西広域連合による「カウンターパート支援」をはじめ、ほとんどの都道府県や市町村の多くの自治体職員(のべ約6万人)が約3カ月間、被災自治体の業務をサポート。社会福祉協議会は災害ボランティアセンターを開設するなど、阪神大震災の教訓を生かした対応が随所に見られました。
多数のボランティアが被災地に駆けつけ、その数は11年だけで約95万人。18年1月までにのべ約154万人が、物資の仕分けや避難所でのケア、清掃活動、家屋の泥出し、家財の撤去処分などに従事しました。
543団体が復旧・復興状況に応じた支援を行いました。うち約4割がNPOやNGOで、物資提供や避難所対応から始まり、まちづくりや産業支援など地域を基盤とする活動へと拡大していきました。
発生から5年間を「緊急期」「復旧期」「復興期」の3期に分け、状況に応じた支援活動を続けたのが、NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)です。
<緊急期>(2011年3~9月)
・三陸沿岸を中心に救援物資(約160トン、トラック約40台分)を配布
・避難所・仮設住宅と病院・スーパーを結ぶバスの運行
・避難生活によるストレス軽減の心のケア、離島への医師派遣
<復旧期>(11年10月~13年2月)
・商店街、漁業の復旧・生計支援
・学びの場の提供など子ども支援
・福島で被災した犬・猫保護
<復興期>(13年3月~16年3月)
・宮城県気仙沼市を拠点に観光振興支援
・高齢者の活動支援
・40超の企業・団体・組織との連携支援
PWJの活動に対しては寄付金約8億2660万円、物品寄付(約62万円相当)が寄せられ、支援にあてられています。
▶ピースウィンズ活動の記録|東日本 大震災 被災者支援(2011年4月~)
【海外】
米軍をはじめ、163の国・地域および43の機関が人的・物資支援、寄付金などによるに支援を行いました。

被害の程度によって復興の形は大きく異なり、避難先での定着が進み、帰還できずにいる人は少なくありません。原発被災地の場合、復興に着手する時期のめどが立たず、地域の将来像が描きにくい側面もあります。
そのような中、岩手、宮城両県では住宅再建やインフラ整備の大半が完了し、福島県でも集団移転や商業施設などの大型開発が進んでいます。
2020年3月、高台への集団移転が完了しました。住宅団地(8,389戸)として整備されたのは、岩手、宮城、福島、茨城の被災4県27市町村の324地区です。
国の防災集団移転促進事業に基づく宅地造成で、住民たちは元のコミュニティーを維持したまま移転。町内会・自治会活動が盛んで、地区によっては交流会や住民同士の見守り活動も行われています。
商業施設や住宅などを集約させるコンパクトシティの整備も各地で進んでいます。コンパクトシティとは、文字通り、効率的で小規模な市街地のことで、身近に生活施設や公共施設があり、歩行圏域での日常生活の完結を目指しています。
町の約4割が津波で浸水した宮城県山元町では、住まいを失った被災者の受け皿として3地区に整備。このほか、岩手県では陸前高田市、釜石市、宮古市、南三陸町、大槌町など▽宮城県では石巻市、岩沼市など▽福島県では南相馬市、楢葉町などが実施もしくは実現に向けて取り組んでいます。
岩手県陸前高田市は720億円を投じて中心市街地を最大12mかさ上げし、再生をめざしています。しかし、かさ上げ地の半分以上は使われずにいます。
自治体と住民、地権者らとの合意形成や宅地造成には時間がかかり、この間、よその地への移転や、避難先に定着してしまう人も多く、利用見込みのない空き地が目立ちます。
| 人口 | |||
| 震災前 | 最新(2026年2月) | 増減率(%) | |
| 岩手県 | 1,326,643 | 1,121,507 | -15.46 |
| 宮城県 | 2,346,853 | 2,225,260 | -5.18 |
| 福島県 | 2,024,401 | 1,710,065 | -15.53 |
大惨事が起きると、問題の当時者は、「想定外」という言葉で、不測の事態への構えや備えの欠落をかき消そうとしがちです。東日本大震災における応急対応を巡り、室﨑・神戸大名誉教授が「何よりも問題」としたのが、このことでした。想定外を許さず、仮に予期しないことが起きても適切に対応できるよう、日ごろから最悪の事態を的確に想定しておくことが重要です。来る大災害を前に、そのための備え、システムづくりが個人レベルでも求められています。
◆福島原発 ドキュメント(2011年3月11日~17日)◆
◇3月11日
14:46 三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生
福島第1、2原発が自動停止
14:49 37市町村に大津波・津波警報発令
15:14 政府が緊急災害対策本部を設置
15:37 第1回緊急対策本部が「甚大な被害が発生している模様」。自衛隊、警察、消防の被災地派遣などの基本方針を決定
15:42 津波により非常用ディーゼル発電機が使用不能に
16:36 1、2号機で非常用炉心冷却装置の注水が不能に
16:47 福島県知事が自衛隊に災害派遣要請
19:03 原子力緊急事態宣言発令(第1原発)、原子力災害対策本部設置
19:30 防衛相が自衛隊に原子力災害派遣命令。大宮駐屯地の陸上自衛隊化学防護車が出動
20:50 福島県は第1原発の半径2㎞内の住民に避難要請
21:23 菅直人首相が第1原発の半径3圏内の住民に避難指示(3~10㎞圏内は屋内退避)
◇3月12日
00:45 発電所構内で放射線量の上昇を確認
00:49 1号機で格納容器圧力異常上昇
03:05 経産相、原子力安全・保安院長、東京電力常務が記者会見し、放射性物質を含んだ水蒸気を排出するベントの実施方針を発表
05:22 第2原発1号機が圧力抑制機能喪失
05:32 2号機が圧力抑制機能喪失
05:44 首相が第1原発の半径10㎞圏内の住民に避難指示
06:00 放射性物質の漏洩が判明
06:07 第2原発4号機が圧力抑制機能喪失
06:14 首相が陸自ヘリで原発、被災地視察に出発
07:45 原子力緊急事態宣言発令(第2原発)
10:17 1号機でベント開始
15:36 1号機で水素爆発
16:17 原発敷地境界付近の放射線量が500マイクロシーベルト超
17:39 首相が第2原発の半径10㎞圏内の住民に避難指示
18:25 首相が第1原発の半径20㎞圏内の住民に避難指示
20:20 1号機について海水による原子炉への注水を開始
20:32 首相が記者会見。「一人でも多くの命を救うために全力で今日、明日、あさって頑張り抜かねばならない」
20:41 枝野幸男官房長官が「1号機の格納容器は破損していないことを確認した」「放射能の濃度は上昇していない。むしろ少なくなっている」。
◇3月13日
09:00 3号機の圧力容器に水を入れ始めるが給水ポンプに異常。給水が止まり容器内の水位が大きく低下
13:12 給水を海水に切り替えたものの不安定な状況に
23:30 水位は完全には回復せず。燃料棒が十分冷却できていない可能性
◇3月14日
11:01 3号機で水素爆発。原子炉建屋の上部外壁が吹き飛び東電社員4人、協力会社2人の計6人が負傷
11:44 第1原発正門で1時間あたり20マイクロシーベルトの放射線量。枝野官房長官は記者会見し「(原子炉のある)格納容器は健全という認識。注水は継続され圧力も一定の範囲内にある」。
18:22 燃料棒が完全に露出し「空だき」状態に
20:00 注水を開始
21:34 燃料棒の半分程度まで水位が回復
23:20 燃料棒が完全露出
◇3月15日
01:10 海水の注入作業を再開
06:14 圧力抑制プール付近で爆発音
08:31 第1原発正門付近で毎時8217マイクロシーベルトの放射線量
06:00 4号機の核燃料プールで水素爆発
10:22 一般人の年間被ばく限度の400倍に匹敵する400ミリシーベルトの放射線量を記録
◇3月16日
08:30 3号機付近で白煙
10:00 第1原発正門付近で放射線量が急激に上昇
◇3月17日
09:48 陸自ヘリが3号機の上空約100mから2機で交互に海水投下
【参考文献】
・ひょうご震災記念21世紀研究機構「『国難』となる巨大災害に備える~東日本大震災から得た教訓と知見~災害対策全書別冊」ぎょうせい
・五百旗頭真、御厨貴、飯尾潤「総合検証 東日本大震災からの復興」岩波書店
・関西大学社会安全学部「検証 東日本大震災」ミネルヴァ書房
・平川新、今村文彦、東北大学災害科学国際研究所「東日本大震災を分析する1~地震・津波のメカニズムと被害の実態~」明石書店
・平田直、佐竹健治、目黒公郎、畑村洋太郎「巨大地震 巨大津波~東日本大震災の検証」朝倉書店
・佐竹健治、堀宗朗「東日本大震災の科学」東京大学出版会
・中央防災会議「東北地方太平洋地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会「東北地方太平洋地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会報告」
・宮城県沖地震対策研究協議会、東北地質調査業協会「東日本大震災に関する技術講演会論文集~巨大地震・巨大津波がもたらした被害と教訓~」
WRITER
ライター:
大久保 資宏(毎日新聞記者)
毎日新聞社では主に社会部や報道部で事件や災害、調査報道を担当。雲仙・普賢岳災害(1990~95年)と阪神大震災(1995年)の発生時は記者、東日本大震災(2011年)は前線本部デスク、熊本地震(2016年)は支局長として、それぞれ現地で取材した。
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