JOURNAL #5232026.03.02更新日:2026.03.02

【3.11の記憶とこれから#02】「何もしない」という選択肢。声なき声に寄り添う看護――新谷絢子

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千葉県内にある大学病院の病棟で、いつものように看護師として勤務していた新谷(しんがい)看護師。2011年3月11日、14時46分——。激しい揺れに襲われ、入院患者はベッドから投げ出されそうになり、スタッフ全員で患者の安全確保に奔走、ライフラインが途絶えた混乱のなかでバケツリレーをして物資を運び続けました。

その夜、携帯電話やテレビの画面越しに飛び込んできた、信じがたいほど凄惨な被災地の光景。

「何かをしなければならない」

激しい焦燥感と衝動が、胸を突き上げたといいます。これが、その後の彼女の人生を大きく変える、長い旅路の始まりでした。

予定されていた退職、そして被災地へ

—— 2011年3月11日、どこで何をされていましたか。

私は千葉県の大学病院の病棟で、看護師として仕事の真っ最中でした。突然ベッドに寝ていた患者さんが落ちそうになるほど大きな揺れが病院を襲い、とにかく患者さんを守らなければと、スタッフ全員で患者さんに覆いかぶさるようにして必死に支えました。

病院も一部被災し、揺れが収まってもその日はずっと大混乱の状況でした。電気も水道も止まり、エレベーターも使えない。私たちはバケツリレーのように水や食事を運び続けました。
歩ける患者さんは不安から飛び出しそうになり、泣き出す方もいるなか、スタッフも同じように恐怖に怯えながら、「まずは安全確認」と言い聞かせながら動き続けていました。

その日の夜、テレビや自分の携帯から流れてきた被災地の映像は、今でも忘れられません。
押し寄せる津波が街ごと流れていく画面を見ながら、「何かしなければ」という思いが沸き起こりました。
一方で、もともと3月末で病院を退職し、メンタルヘルスやグリーフケアを学び直すことを決めていたため、「こんな混乱のなかで職場を去っていいのか」と葛藤を抱えていました。

—— 3.11をきっかけに、最終的にどのような行動を選んだのでしょうか。

発災以降も刻々と流れる情報で被害の大きさを知るたびに、「現地に行って、必要とされるところで動きたい」と感じるようになり、上司とも話し合ったうえで予定通り退職し、看護師として、ということよりも、とにかく「必要とされていることがあれば何でもやる」と決めて、被災地にボランティアとして入ることを選びました。

けれど東北地方にはまったく縁がなかったので、ひたすらインターネット検索や知人に相談し、受け入れを募集しているボランティア団体を探していました。それから2ヵ月後、知人からの紹介で現地に入りました。
それからは、ボランティア看護師として避難所生活の方々のケアや、在宅避難者のお宅へ訪問活動をしていました。

—— 現地での活動からずっと残っている経験・光景・言葉はありますか?

初めて現地に入ったのは宮城県石巻市です。この地域は本当に壊滅的な被害を受けた地域で、家、家族、友人、恋人、仕事、故郷、日常……出会った人たちは誰もが何かを失っている状況でした。そのなかで、衝撃的な言葉を耳にしました。
「なんで自分だけ生き残ってしまったんだろう」
一人、二人ではなく、多くの被災者の方から吐露されたその言葉には、生き残ったことへの深い罪悪感と葛藤が凝縮されていました。かけるべき言葉や行動が見つからず、身に着けてきた医療の知識も、看護のスキルも、その絶望の前で私はあまりにも無力でした。

—— その無力感とどのように向き合い、克服したのでしょうか?

被災地に入るまで、そして、実際に現地で活動していた頃も、私は、何か行動を起こすことが大事だと思い、無力感を感じたあとも『どう行動するべきだったのか』を問い続け、現地での活動を続ける傍ら、メンタルヘルスの講習に明け暮れました。

けれど私が気がつけなかったのは、行動で”示す”ことばかりが支えではなく、ただ寄り添い、同じ空間を共にする、そばでそっと伴走することにも意味がある。現地では「何かしなければ」と焦って動くこと、なにかすることが、必ずしもその人のためになるとは限らないということでした。

それ以来、私が心がけているのは「無理に何かしようとしない」ということです。どんな現場でも何かしたくなる気持ちを抑えつつ、 一旦相手が置かれている状況や心境に思いを馳せながら、何を求めているかを感じ取るということを意識して行動するようになりました。

—— あえて「何もしない」というのも、一つの支援の形なのですね。

正解はないんです。でも、大切な人を亡くしたり痛みを抱えたりしている方が、我慢するのではなく、「この人だったら話してもいいかな」と思ってもらえるような態度で接していたいです。

そして、支援が時に被災された人の心身の負担になることがあり、誤った支援が時に誰かを傷つけていることがあるという現実を知りました。
現地や被災された人に押しつけの支援をしたくない。
本当に必要な支援を届けることにこそ意味がある。
それが3.11から私が得た、大きな学びかもしれません。

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—— それらの経験で、特に今でも活動に影響していることはありますか?

病院にいた頃は「患者さんを待つ医療」が当たり前でしたが、被災地で思い知らされたのは、支援を最も必要としている人ほど、声を上げることができない。本当に困っている人ほど、こちらから会いに行かないと出会えない。という現実です。
そのような支援の届かない人にこそ、自ら動いて支援を届けていきたいと思っています。

さらに、私は看護師として「医療」の分野を軸に携わってきましたが、医療を提供するだけでは、本当の意味で被災者の方々の生活も心も守りきれない、医療のスキルだけでは届かない領域が確かにある、ということも深く知りました。
そこから私のなかに、生涯の3つのテーマを学び続けたいという軸が生まれました。

1.地域医療
待つのではなく、自ら地域へ出向く医療のあり方。
平時に地域に潜在している課題は、災害によって顕在化する。だからこそ、日頃から地域の実情や、そこにある困難、支援を必要としている人の存在を理解しておくことが重要。
医療にとどまらず、保健・福祉を含めて包括的に地域を捉え、継続的に関わること。それによって災害時に起こり得る健康被害を最小限に抑え、必要な場所へ切れ目のない支援を届けることが可能なると考えている。

2グリーフケア
命に関わる災害や医療の現場においても、日本では依然として情報格差が存在しています。
子ども、聴覚・視覚に障害のある方、多言語を必要とする方々にとって、情報が届かないことは、命に直結する問題です。
誰一人取り残さないために、どのように確実で分かりやすい情報を届け、円滑なコミュニケーションを実現していくのか。それは災害医療における重要な課題です。

3災害時の情報の在り方
命に関わる災害や医療の現場においても、日本では依然として情報格差が存在しています。
子ども、聴覚・視覚に障害のある方、多言語を必要とする方々にとって、情報が届かないことは、命に直結する問題です。
誰一人取り残さないために、どのように確実で分かりやすい情報を届け、円滑なコミュニケーションを実現していくのか。それは災害医療における重要な課題です。

この3つのテーマは、自分自身の仕事を通して、また仕事という枠を超えて、今でも取り組み続けています。

空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”での新たな挑戦

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―― ARROWSの一員としてこれからの「挑戦」について教えてください。

3.11は、私自身に多くの「無力感」を突きつけると同時に「人としてどう在りたいか」を問い続ける原点になりました。
災害での津波や家屋・建物の倒壊など直接的な原因で亡くなる人「災害直接死」をできるだけ減らしたいということ。また、災害直接死から逃れ、助かった尊い命を「災害関連死」から守りたいということ。そして、「一人でも多くの人を救う」という思いは、15年前と一切変わっていません。
自分のなかにあるのは看護師である以前に、人としての人間性や感性をしっかり育てたいと思っています。それがちゃんと育つように意識を持って、公私ともに活動をしていきたいと思っています。


空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”
看護師
新谷 絢子
看護学校卒業後、日本医科大学千葉北総病院に勤務。退職同時期に東日本大震災発生。以来、数年災害支援に携わる。病院、看護学校、熊本地震での災害支援、訪問看護での経験を経て2021年9月より現職。


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