JOURNAL #1762022.08.01更新日:2024.01.21

患者から背中を押され、新しい世界へー業務調整員として災害支援に携わるー

調整員:林田 光代

4月より、ピースウィンズ・ジャパンの災害緊急支援プロジェクト「空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”」の業務調整員として入職しました林田光代と申します。
日々の業務を夢中でこなすうち、あっという間に4か月が経過しました。

私が災害支援の道を志すようになったのは、1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災がきっかけです。当時、私は大阪に住んでいました。

「ドーン」という大きい音で目が覚め、すぐに動くことができない大きな揺れが始まりました。
テレビから映し出される、毎週末のように遊びに行っていた神戸が大きな被害を受けていることに衝撃を受け、友人にも電話が通じず、不安な日々を過ごしました。
当時はただ恐ろしく、ボランティア活動にも参加することなく、どちらかと言えば神戸を訪れることを避けていたように思います。

その時の「何もしなかった」後悔があり、ずっと、次の災害が起こった時に動ける人間になりたい、と思うようになりました。

その後、岡山の災害拠点病院で働くようになり、DMATという災害派遣チームの存在を知りました。東日本大震災にも出動した先輩の話を聞いたりして、DMATの業務調整員として私も活動させていただけることになりました。


東日本大震災発生直後の様子

 

熊本地震での県庁などでの後方支援、西日本豪雨時のDMAT活動拠点本部や県庁・保健所での活動を経験する中、その都度、チームや自分の行動に思い悩むことも出てきました。
より迅速に災害支援に携わりたい」と希望して、この度「空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”」に参加させていただいております。


2022年5月 災害派遣トレーニングの様子

 

空飛ぶ捜索医療団では、「一秒でも早く、一人でも多く」というスローガンのもと、いつ起こるかわからない災害に備えて普段から活動を行っています。まだ入職して4か月ほどですが、資機材管理・体力錬成など、先輩方の指導を受けながら取り組む毎日です。

また、平行して行っている地域医療に対しての取り組みにも関わらせていただいており、週に2日は、神石高原町のへき地診療所での業務を行っています。私自身も過疎化が進む地域の出身でもあり、こういった業務に携わらせていただくことも光栄に感じています。


2022年6月定期訓練の様子

 

以前勤めていた病院では、本当にたくさんのことを学びました。最後に所属していた部署では、患者さん一人ひとりの「生」に対しての執着心を感じ、病気を抱えた患者さんから私は背中を押していただき、新しい世界に飛び込むことができています。救急外来で補助要員として看護師から指導を受けたりできたことも、これからの空飛ぶ捜索医療団の活動に活かせるのではないかと思っています。

医師・看護師のメディカルチームやレスキューチームが活動しやすい場所を提供できるよう、業務調整員として私なりにARROWSの活動を支えられるよう、今後も精進してまいります。

WRITER

調整員:
林田 光代

大学卒業後、一般職を経て、岡山県の災害拠点病院にて診療情報管理士として勤務。DMAT業務調整員として、熊本地震の県庁での後方支援や西日本豪雨の出動を経験。ARROWSでは業務調整員としての業務の他、神石高原町のへき地診療所業務に携わる。2022年4月より現職。DMATロジスティックスチーム隊員。

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