JOURNAL #2402023.08.10更新日:2024.01.16
ライター:大久保 資宏(毎日新聞記者)
約105,000人の死者・行方不明者を出した関東大震災から9月で100年になります。この間、私たちは自然の猛威による「想定外」に繰り返し翻弄されてきました。阪神大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)では多くの医療機関が機能不全に陥り、大勢の人が適切な治療を受けられずに亡くなっています。発生が見込まれる首都直下地震で約6,200人、南海トラフ巨大地震では約80,000人もの「未治療死」が出るとの試算もあります。一人でも多くの命を、いかにして守ればいいのでしょうか。
首都直下地震は今後30年以内に約70%の確率で発生するといわれています。東京や神奈川、埼玉、千葉など首都圏周辺はマグニチュード(M)7クラスの地震に見舞われ、最大約6,100人が死亡し、約194,400棟の建物被害が出るとみられています。
出典:東京都防災会議「東京都の新たな被害想定~首都直下地震等による東京の被害想定~」(2022年5月)
南海トラフ巨大地震は今後30年以内に70~80%の確率で、マグニチュード8~9クラスの地震が神奈川県西部から鹿児島県にかけて起きるとされています。死者は最大で約231,000人、建物被害は約1,515,000棟にのぼる見込みです。
出典:内閣府「南海トラフ巨大地震の被害想定について」(2019年6月)
地震直後に何が起き、それが未治療死にどうつながるのでしょうか。
内閣府や東京都がまとめた被害想定によりますと、人的被害として①建物の倒壊、②火災、③津波、④地盤被害、などを挙げ、発生直後から72時間に停電やシステム障害、断水、燃料不足、病気・ストレス、広域災害、複合災害などが起きるとしています。
その際の人的被害のシナリオは、停電によって病院や施設内では医療機器やパソコンなどが停止し、手術中や生命維持装置(人工呼吸、人工心肺など)を使用している患者が死亡または容態が悪化。エレーベーターなどに閉じ込められた高齢者や乳幼児らは体調不良に陥ります。システム障害によって消防など関係機関への救助・救急要請ができなくなり、生き埋めや重症者らの救出・応急手当に大幅な遅れが生じます。断水になれば病院などでは医療用の水が不足し、人工透析などで真水が必要な患者の容態が悪化。夏季だと脱水症状や熱中症による死者が相次ぎます。水分を十分に摂取できない避難者は静脈血栓症(エコノミー症候群)を発症。
燃料が不足すれば、車両やヘリコプターなどの移動手段が限られ、捜索や医療活動などに支障が出ます。広域災害になると、人的・物的資源の不足で、救助の遅れ、さらに負傷者が大量に発生し,病院や避難所の機能が維持できずに人的被害が拡大。衛生環境が整っていない避難所ではストレスから体調を崩して死亡または容態が悪化します。感染症の流行や、高齢者が生活不活発な状態となり心肺機能の低下や認知症を発症します。
また、東日本大震災でもみられたように、院内のスプリンクラーの誤作動によって放水された場所での診療活動の継続が困難で病院避難となることもあります。
さらに加えて、南海トラフ巨大地震で被災した各都府県の医療機関では、建物被害やライフライン機能などの障害が発生し、対応がむつかしくなる患者は最大で入院が約12万人、外来が約13万人にのぼるとしています。
出典:内閣府「南海トラフ巨大地震の被害想定について」(2019年6月)
このようにさまざまな事象がほぼ同時多発的に起きることで、大量の死傷者が出るとの想定ですが、適切な治療を受けていれば救えた人の存在には触れていません。日本医科大の布施明教授(災害医療)の研究チームは、それを「未治療死」として独自に開発した災害医療活動シミュレーションシステムを使って分析しました。その試算が、首都直下地震で「約6,200人」、南海トラフ巨大地震では「約8万人」です。
布施教授の研究チームのシミュレーション分析によりますと、首都直下地震の負傷者はまず、最寄りの病院で「トリアージ」(適切な処置や搬送のために行う傷病者の治療優先順位の決定)を受け、救命処置が必要とされた人は災害拠点病院、安定している人は連携病院へ運ばれます。ただ、搬送されても治療が受けられなかったり、入転院ができなかったりすると死亡につながります。発災9日目までに、負傷者約2万人のうち治療前に約5000人、入転院できずに約1200人がそれぞれ亡くなり、未治療死は計約6200人になるという計算です。
死因は、患者が病院に殺到するものの医療スタッフが足りず、重症者を災害拠点病院に運べないことによるもので、約80%は連携病院で起きるとしています。
最も被害が大きいとされるのが、23区の東北部(荒川区、足立区、葛飾区)と東部(墨田区、江東区、江戸川区)の木造密集地です。未治療死の約9割がここに集中します。その原因として、道が狭く救急車や消防隊の到着が遅れるうえ搬送先の病院でも治療を受けられないとしています。
一方、南海トラフ巨大地震では、津波に襲われる沿岸を中心に未治療死が発生し、道路が寸断されて負傷者を搬送できないケースのほか、時間を追うごとに増える来院者に医療スタッフが対応しきれないケースが頻発。とりわけ高知県は、医療機関が少なくて拠点病院から離れている地域ほど状況は厳しく、重傷者の約80%が未治療死になるとしています。
未治療死について補足します。
通常の医療体制であれば救命できた「防ぎえた災害死」(preventable disaster death)と同義のように思われがちですが、実のところどうなのでしょうか。
布施教授によりますと、未治療死の定義は「直接死を免れた負傷者で適切な医療が受けられずに急性期に死に至るケース」で、「概念としては『防ぎえた災害死』とかぶっており、災害関連死とも『急性期での死亡』というところで重なっている」と言います。2021年の論文が初出で、比較的新しいことから災害用語としては定着しておらず、医学用語としても正式には認められていません。このため布施教授は最初に定義を紹介したうえで未治療死に触れるそうです。
「未治療死」というネーミングは、NHKスペシャルの取材と重ねっていた時期で「何となく出た言葉だったが、一般の人がイメージするうえでマッチしているのでは」と話します。
ちなみに、災害死には「直接死」と「関連死」があります。災害が起き、倒壊した家屋の下敷きによる圧死や、火災による焼死、津波による溺死などが直接死で、何とか生き延びたのに、災害で受けた傷や避難生活での負担などが原因で死に至るのが関連死です。未治療死も関連死の一部といえます。
布施教授はこれまでさまざまな災害に関わり、日本DMAT(災害派遣医療チーム)の立ち上げにも尽力しました。ただ、奔走しながらも「常にあるモヤモヤがあった」と打ち明けます。
「近く起きるであろう地震に対して予断なくやれているかというと、過去の教訓に結構引きずられている。医療側は、自身が専門とするパーツ訓練は一生懸命やるが、そのパーツで何千人、何万人に対応できるだろうか」
そのような思いを防災研究者に話したところ「シミュレーションのようなことをしたらどうか」とアドバイスされ、独自に災害医療シミュレーションシステムを開発。「これまでと違うアプローチで提言したい」と、データ分析の専門家らと協力して大規模災害の実相に迫る研究に乗り出したのです。
WRITER
ライター:
大久保 資宏(毎日新聞記者)
毎日新聞社では主に社会部や報道部で事件や災害、調査報道を担当。雲仙・普賢岳災害(1990~95年)と阪神大震災(1995年)の発生時は記者、東日本大震災(2011年)は前線本部デスク、熊本地震(2016年)は支局長として、それぞれ現地で取材した。
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