JOURNAL #2582023.09.22更新日:2024.10.26

【稲葉医師ってどんな人? 】空飛ぶ捜索医療団プロジェクトリーダーに単独インタビュー!

広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

稲葉医師のインタビューに関するアイキャッチ画像です。

空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”のプロジェクトリーダーである稲葉基高医師は、国内外の多くの災害現場で活動してきました。一方で、医師としての腕を磨くため、今も総合病院での救急外科医としても勤務し続けています。
今回のジャーナルでは、稲葉医師を支える様々な思い、そして空飛ぶ捜索医療団の今後についてインタビューを実施しました。

インタビューの様子をまとめた動画も以下よりぜひご覧ください。

 

自分への情けなさ、悔しさでいっぱいだった

災害医療支援を行う中で、一番悔しかった経験はなんですか?

東日本大震災発生時の、DMATとしての活動経験です。当時はピースウィンズではなく、DMAT(災害派遣医療チーム)として被災地域に向かいました。
行けば誰か助けられると思っていたのですが、被災地域近くまで行っていたのに、結果、何もせずに帰っている自分に情けなさと悔しさがありました

稲葉医師の画像です。

実は支援現場で仕事がなかったわけではなくて、そこでずっと待機していたら…今考えるとできることが沢山あったはずなんです。そういうことを何も知らずに、自分を含めたくさんのチームが帰っていった。
結局、少ないリソースで取り組まなければいけなかったということが後で分かりました。それもまた悔しくて、「何もできなかった」ということ、それが悔しかったという話ができるようになったのも、1年ぐらい経ってからです。

印象に残っている災害現場はありますか?

ピースウィンズに就職してすぐ、2018年の西日本豪雨の支援現場です。
空飛ぶ捜索医療団を運営するピースウィンズに就職した直後で、まだ自分が何ができるか分からない状況のときに、まび記念病院という病院で避難活動を行いました。ものすごく暑く混乱した状況で、今思うと恥ずかしいぐらいテンパりながら、仲間を怒鳴りながら活動していました。

けれど実際、支援者の人のお役に立てたというのも感じられたし、官民の連携という面で、「もしピースウインズが今後もこういう体制でやっていけば、DMATとも共存できて災害現場、災害医療の世界でも価値のある存在になれるんじゃないかな」と思えました。

西日本豪雨当時の支援の様子です。
西日本豪雨当時の支援の様子

※西日本豪雨支援活動の記録は、【ARROWS医療支援の原点】「平成最悪の水害」と呼ばれる西日本豪雨から5年の記事でご紹介しています。

 

振り返ると何も無駄なことはなく、どのときも楽しんでいた

人生の浮き沈みを、グラフで教えてください。

稲葉医師の人生グラフの画像です。

子供の頃はしっかり田舎で遊んで、楽しくやっていました。
学生時代は、部活も含めていろんな事をしました。柔道部でしたが、ものすごく強かったわけじゃなくて、部活の練習後は朝まで麻雀をずっとやったりとか(笑)。そういう楽しみもありました。
大学時代はチンドン屋でアルバイトをしていたのですが、そこでは「人生」とか「仕事の厳しさ」みたいなのを親方に教えてもらいました。

学校を卒業して外科医になってからは、厳しい上司の期待に応えられないことが本当に辛かったです。「同期のあいつはこんな手術をさせてもらっているのに、自分はまだ全然、助手すらまともにやらせてもらえない」というのが悔しくて、それこそ本当に泣いていました。もう、夢の中でも怒られて、泣きながら目が覚めたりとか(笑)。

今のソーシャルセクターと言われる世界に入ってみると、医師として15年間がむしゃらに一生懸命走り続けたことが自分の基礎になっていると思っています。どこにおいても、振り返ると何も無駄なことはなかったと思っていますし、どのときも楽しんでいたかなと思っています。

 

「明日死んでもいい」と思って生きたい

座右の銘を教えてください。

最近読んだ本でたまたま出会った「明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ」ですね。自分がずっと思ってきたこととすごく合致するというか、いい言葉だな、と思いました。

稲葉医師の座右の銘の画像です。

仕事柄、突然若い人が亡くなるとか、場合によっては子供が亡くなるという場面をたくさん見てきました。いい言葉で言えば「大事に生きないといけない」と言えますが、やりたいことをやろうと思うと、だんだん欲張りになってきます。
仕事でも、達成感とか、人の役に立つ仕事をちゃんとやりたいという気持ちがある一方で、家族も大事にしたいという思いもあります。両立するのが難しいこともありますが、できるだけ両立したい。できるだけ諦めないように、悔いがないように「明日死んでもいい」と思って生きたいです。

 

日本の医療が抱えている大きな課題に取り組みたい

なぜ、ピースウィンズ・ジャパンで活動しているのですか?

僕がピースウィンズに来たのは、実は災害支援活動をやるためだけではなくて、日本の医療が抱えている大きな課題に取り組むためです。
例えば保険医療制度は本当にこのまま大丈夫なのかとか、超高齢化を迎えていく中での医療に関する課題についてです。

僕自身は僻地の生まれなのですが、僻地では今、医療などのインフラサービスがどんどん削られようとしています。最終的に全てのインフラは必要ですが、特に「医療」と「教育」がないと、若年層も含めて、地域に人が増えていくとか住んでいくのは難しいと思います。そういったインフラを整えた体制をどうやって維持するか、ということも考えないといけないと思っていました。
そうして自分が臨床医・救急外科医として15年間働いていく中で、丁度日本の医療が抱えている大きな課題に疑問を感じ始めていたところで、大西代表と出会ったということがきっかけです。

なぜ災害現場に立ち続けるのでしょうか。

災害現場って色々不便な場面が多く、リソースもなくストレスもかかるし、辛いこともありますが、モルドバの支援現場に行ってもトルコの支援現場に行っても、どこでも本当に「来てくれてありがとう」とか、泣きながら直接感謝されたりということが、自分の磨り減った心を充電してくれているという実感はあります。
だから、現場に行くと、体は疲れるけど「心は充電されて帰ってくる」ことがあります。そういった体験が、自分のモチベーションスイッチを入れ直してくれます。

現場で活動する稲葉医師の画像です。

被災された方々もパニックになっていますが、「自分たちがやるしかない」、「私達がやるんだ」という感じで腹をくくった瞬間というのを感じると、こちらの心もものすごく揺さぶられるものがあります。「この人たちを支えよう」「この人たちを助けよう」と思います。

困っている人もARROWSのメンバーも幸せになれる組織に

理想のリーダー像はありますか?

それは本当に難しいです。空飛ぶ捜索医療団ができて4年、その中で、色んなことで成長できているチームにいられることはすごく幸せだなと思います。
僕がリーダーで「稲葉先生がいるからやっていてよかった」と思ってもらえるリーダーを目指し続けたいと思っていますし、もっと適任の人がいれば、変わってもいいと思います。

理想の組織について語る稲葉医師の画像です。

これからの空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”について

どういう組織を目指したいか、ということで言うと、自分のやりたいことだけができる組織ではないと思います。
空飛ぶ捜索医療団は新しい組織です。災害だけじゃなく、地域医療とか国際協力とか色んなチャンネルがある。色んなチャンネルがある中で、実はモチベーションの似ている人たちが活動している、それがさらにきちんと現場で困っている人たちの役に立つというモデルだと思います。
それぞれのメンバーの強みを生かしていくことで、僕自身が予想もしなかったことで組織が成長していくこともあるし、思わぬ支援事業ができることもあります。2023年5月に起きた能登地方地震の支援も、僕は早々に帰って、そこから看護師を中心保健師のサポートや全戸訪問を行いました。

石川能登地方地震での活動の様子です。
能登地方地震での活動の様子

このように、ARROWSを運営するピースウインズでも、今までなかった新しい活動ができています。
思いやモチベーションのあるメンバーが新しい支援や活動の形を作り続けていくことで、困っている人たちの役に立ち、活動している人たち自身もモチベーションを保ち続けながら幸せになれる、というのが理想の組織だと思っています。

 

日頃から熱い思いをもち、国内外の災害現場はもちろん、平時の訓練や地域医療など、多くの活動に全力で取り組む稲葉医師。
その思いは、被災者の方々に寄り添う支援活動へと繋がっています。

WRITER

広報:
空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"ジャーナル編集部です。災害に関する最新情報と、災害支援・防災に関わるお役立ち情報をお伝えしています。

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