JOURNAL #5122026.01.06更新日:2026.01.06

奥能登に生きる|震災から2年、被災地の願い #2

広報:空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

令和6年能登半島地震からまもなく2年が経過します。発災翌日から1日も途切れることなく支援を届け寄り添い続けるなか、私たちは多くの方から苦難や葛藤、そして、ふるさと奥能登の復興への、力強い思いを感じてきました。

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インタビューの当日。立派な鬼ゆずをお土産に、とびっきりの笑顔でお越しくださった谷内さん。事務所に来られた瞬間からパッと明るい雰囲気に

谷内 幸(やち みゆき)さんは石川県珠洲市で夫の穣(みのる)さんと創業約50年続くお寿司屋さん「かつら寿司」を営み、子どもたちとおばあちゃんの6人家族で暮らしてます。
震災からやっとの思いで再開したお店。そして今、地域のために新たなチャレンジを始めたといいます。
ARROWSジャーナル連載「奥能登に生きる」続編——幸さんに「あの日」から現在の挑戦、そして未来への思いを、聞きました。

――女将が経験した震災。記憶

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あの日、仲のよい家族と一緒に私の自宅で新年会を開く予定で、料理を作りながら皆が集まるのを待っていました。そのときに起きた1回目の震度5の地震。そのあと数分後にあの大きい地震。私は子どもたちに向かって「外に出なさい!」と咄嗟に声をあげ、急いで外に飛び出しました。

親戚家族には初詣のために神社で巫女をしていた子どもが2人いました。その神社は津波も到達していた地区です。電話もつながらなくて無事かどうかさえも分からず、1日がとても長く感じました。
翌日、彼女たちが無事だと分かったとき、言葉にならないほど安堵したのを覚えています。

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市内にある橋の復旧工事の様子。2025年末時点でも一部道路などのインフラ復旧作業は行われている

幸いにも家族は皆無事で家も持ち堪えてくれましたしたが、周辺の道路は割れ、傍にある橋も完全に崩れていました。避難所にはとても車を出せる状況ではなかったので、しばらくの間は子どもたちもおばあちゃんも皆、余震が収まるまで車中泊をすることに。
それからも近くに住んでいた親戚家族も私たちの家に集まり、8月ごろまで最大16人で生活をしていました。

「食」で地域に元気を。ご主人との挑戦!

私たち夫婦のお寿司屋さんは、私たちで二代目です。日ごろから地域の方が親しんでくれています。
震災からしばらくはお店を再開することはできませんでしたが、転機を迎えたのは1月23日。
主人が再開したスーパーマーケットに買い物に出掛けた時の出来事でした。

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1匹だけ売られていた、すごく立派な能登町産の『ブリ』。主人はそれを購入し家に帰ってくると緊張な面持ちでいきなり私に、「シャリ(酢飯)を炊いて…くれませんか?」と言ってきたのです。

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急な展開に驚きましたが二つ返事でシャリを炊き、購入したスーパーにお願いしてブリをつかったお寿司を15個だけ販売しました。

お寿司はあっという間に完売。
それを見た主人は、このままじゃだめだと、再起にむけて強い思いを抱いたそうです。
それをきっかけにその日仕入れることができた食材を使い、お魚はもちろん鳥そぼろなど、メニューを工夫して1日70食のお弁当をスーパーで販売していました。

お店の再開は5月に入った頃にようやくできました。その日のことは、これからもきっと忘れられません。
顔なじみのお客さんがお店に入ってきた瞬間、思いが溢れるほど嬉しかったです。
よくぞ、ご無事で
そして笑顔でお寿司を食べる姿をカウンター越しに見たとき、ここでお店を再開することに意味があったと実感しました。

振り返ると本当に色々なことがありましたが、この環境に身を置いてからもう2年になります。今でも困りごともあるけれど苦痛だとはあまり思いません、あの震災当初のころを思ったら。
それにうちは、おかげさまで家にいられた。それは何事にもかえがたい贅沢な話ですから。

「人」で地域に元気を。集会所再生プロジェクト始動!

震災からまもなく2年を迎える2025年11月のある日、地区の集会所でピースウィンズ珠洲事務所のスタッフさんが「健康相談会」を開き、私も誘われて初めて参加しました。ほかにも近くの仮設住宅などから10人余りが集まっていました。

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ピースウィンズのスタッフさんが持ってきてくれた焼き芋をおやつに近況を話し、薬剤師さんに健康面の相談に乗ってもらったり。その時間は笑いもありであっという間に過ぎ、解散する頃には参加したメンバーから「また集まりたいね!」と声があがりました。

この地区の仮設住宅は12室ありますが、もともと住んでいた住民のなかには他の地区にある仮設住宅が当たった方も。それに震災をきっかけに引っ越された方もいるので、寂しさを口にする方もいます。

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特に一人暮らしの方も多いこの地区では、参加した健康相談会のように皆が集える場所をつくらないと、みんな引きこもり、ただ寂しく冬を過ごすことになると思いました。
「いや。このままじゃいかんな」って。
自分の中で決意が固まり、動き始めました。

震災前、活気があったころの私たちの地区の集会所。お祭の反省会、カラオケ大会、ときには皆で料理を作って食べたり。1年を通じて折々に催し物を開き、笑顔で賑わっていました。
それが地震の影響でボロボロになり放置状態になっていたんです。草刈りはしていたけれど屋内は変わり果ててしまい、とてもじゃないけどみんなで集まれる状態ではなくなりました。
そこで行政にも相談してみましたが、本格的に改修工事に入れる時期はまだ先とのことでした。

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ピースウィンズ珠洲事務所のスタッフさんにも集会所再生に向けて話してみると「やってみましょうよ!」と背中を押しをしてくれました。ならば、自分たちの手で障子を張り替えやゴミの撤去とか出来る限りのことをしてみて、高望みは出来ないけれど何とか使える状態にできないかと、作戦を練り始めました。

集会所「再生プロジェクト」に多世代の力が集結

わたしの力だけでは心細いので、ほかの方にも「またみんなで集まれる場所を復活させたい」と計画を伝えてみてることにしました。すると不思議と地区の有志が集まってくれ、”青年団”っていったらおかしいけれど、20代から50代の若い方が5人くらい手を上げてくれました。さらに80代の方からも「できることだったら手伝うし、行くわ。ゴミを運ぶぐらい手伝えるよ」と。

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他愛もない話しをしながら、楽しく集会所の清掃作業

みんなの思いが一緒だったとは言われんけど、どこかでまた集える場所が欲しいという思いは一緒だったのかもしれません。
それと、もとは座布団しかなかった集会所ですが、やっぱり年配の方々のために椅子も用意したいと思い色々な方に相談したところ、ピースウィンズさんの珠洲事務所が前の施設だった頃に使用していた椅子を分けてくれることにもなりました。

少しずつですが、なんだか本当に地域の人たち力で再生していくような思いがしています。
集会所がきれいになったらまた皆で集まって、久しぶりに町内の人たちにおかずを作って配って歩こうと話しています。

激動の日々の中、何度も励まされた娘の詩

震災で変わってしまった日々ですが、ある日、娘が書いた詩で気付かされたことがあります。
これを読んでくださっている皆さんにもその詩を紹介させていただきます。よかったら読んでみてください。

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第12回 広津里香記念 高校生による「創作詩」に 入賞された

娘さんの詩 『まち』

風が吹くたびに
遠くから聞こえるはずの声が
今はもう届かない。
いつも歩いていた道
あの日を境に変わってしまった。

家々の屋根は崩れ
あの時の記憶の欠片が
静かに重く心に落ちる。

いつもと変わらない風景が
突然 姿を消した。

そして何より大切だった「日常」が
一瞬で消え去った。
誰もが見慣れたそのまちなみが
今やただの更地となり
あの日の温もりを失った。

みんなの笑顔も
歩道を歩くあしおとも
すべて消えたように感じて
胸の奥がひどく痛む。
けれど残ったものもあった。
それはこの地を愛するみんな
壊れたまちを前にしても
諦めずに手を取り合う。

一歩ずつ立ち上がっていくすがたが
少しずつ見えはじめる。

失われたものは大きいけれど
そこに咲く希望の芽を信じて
新しまちが少しずつ
形づくられていくことを願って。

心に残ったあの温もりが
きっとまちを再び生かしていく。

この詩を読んで私は、”いまここにいるということは、ここでやらなくてはならないことがある。ここでこの場所に残りこの地の温かさを知っている人が、手を取り合って、ここで生きていきたい”と、思うようになりました。
街の人から「寂しい」「誰もいなくなってしまった」という言葉を聞くいま、この気持ちは大切にしていきたいです。

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女将さんがお送りくださった娘さんと旦那さんとの団欒の様子。ご家族との日常が女将さんの心を支えている

この地の魅力、復興への思い

ここの魅力は外から来た方に教えていただくことが多いです。
まずは「食」です。何を食べても美味しいと言ってくれます。
次は「環境」。一見、不便なことだらけだし、それを並べたらきりがないかもしれないけれど、景色もいいし空気もおいしいと、お子さんを持つ若い方が言ってくれました。
あとは何がいいって「人」がいいと。どの方も「皆さん親切で温かい」と言ってくれます。

「食」がよくて「環境」も「人」もいい。そんな3つも自慢できるものが珠洲にあるなら、珠洲にしかできない復興のしかたっていうのがあるのではと思ったんです。

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田舎に住んでいる私たちのような人間がたまに都会に行くと、「ああ楽しい!」ってキラキラするのと一緒で、例えば、都会の生活に「ふぅ。」とお疲れ気味な方たちが、のんびり旅行でもと思ったとき、そのときの選択肢の中に珠洲があったらいいなと思っています。

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禄剛埼(ろっこうさき)灯台(通称:狼煙(のろし)の灯台)。能登半島の最先端、外浦と内浦の接点にあたるところに位置しており、年に数回、一般公開も。明治時代に建てられ2009年には「近代産業遺産」にも認定。

変な話し、この震災で珠洲市の地名が全国的に有名になったところもあると思います。
けれど、「とりあえず行ってみようか」と思ってくれる人が増え、魅力を感じてくれたら嬉しいです。

編集後記

女将さんに最後に、環境の変化に寂しくされているご近所さんや、地域を元気にするために親身になり行動に移す「原動力は?」を聞くと、ご家族の存在と、「助けているつもりが、自分が助けられている。」ということ。そしてそれを自分自身にも周囲からも感じることが、嬉しいと話してくれました。
インタビューは短い時間でしたが、芯の強さと優しさを感じた時間でした。

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多くの家屋が倒壊していた各地区の住宅街も、今は瓦礫の撤去作業もほぼ完成していて至るところに空き地が目立つようになっています。そのまま別の地域に引っ越した方、元の場所に家を建て直す予定の方。色々な課題を前に決断できずにいる方。それぞれが今でも「あの時」一瞬で変わってしまった日々と向き合い暮らしています。
現在どのような状態に置かれている方も取り残さず、復興に向けて進んで行けるよう、健康面や生活再建についての支援や、子どもたちへの支援を軸に、現地で活動を続けていまります。

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▼あわせてお読みください
奥能登に生きる #01#02#03#04番外編#2年続編①


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空飛ぶ捜索医療団"ARROWS" 編集部

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