JOURNAL #702023.08.23更新日:2024.01.16

防災力が街の価値を生む 首都直下地震に備え帰宅困難者対策訓練

ライター:瀬戸 洋一

大震災100年 帰宅困難者対策は

厳しい暑さが続く最中の8月4日、東京・足立区の北千住駅周辺で首都直下地震を想定した帰宅困難者対策訓練が行われました。この訓練は東京都が区などと協力して毎年、地域を変えながら行っており、参加者が実際に帰宅困難者役となって臨むものです。
訓練を通して最新の帰宅困難者対策を見てみたいと考え、取材に向かいました。
会場の北千住に向かう地下鉄に乗って気づいたのは、途中で停まる駅の名前はかつて関東大震災で大きな被害を受けた下町の地名が目立つことです。

今年2023年9月1日は関東大震災からちょうど100年。関連のニュースや記事、それに本の出版も多く、東京や神奈川県を中心に甚大な被害を及ぼした大災害だったことをあらためて知った方もいると思います。
地震の規模はマグニチュード7.9と推定され、近代国家の首都となった東京を初めて襲った巨大地震でした。昼食の準備をしている正午前に発生したことから各地で火災が起き、下町など木造の建物が密集している地域を中心に街は火の海となり、阿鼻叫喚に包まれました。神奈川県などと合わせた死者は10万人を超えました。
ジブリのアニメ作品が好きな方は宮崎駿監督の『風立ちぬ』で、被災の様子が迫真の描写で表現されていたことを思い起こすかもしれません。

その関東大震災からちょうど100年が経つ東京。人口や街の規模もさらに大きくなった今、再び巨大地震の発生が懸念されています。
去年2022年、東京都は首都直下地震の被害想定を見直し、冬の夕方にマグニチュード7クラスの地震が起きた場合、死者6148人、負傷者9万3435人という想定を公表しました。
さらに想定では公共交通機関が止まるなどして家に帰ることができない帰宅困難者は約453万人に上ると試算しています。これだけ多くの帰宅困難者をどのように安全な場所で過ごしてもらうのか。今回の帰宅困難者訓練ではその方法や手順を実証的に確認したのです。

午前10時、訓練が始まりました。

北千住での訓練の画像です。
北千住ホームで並ぶ参加者

帰宅困難者役として参加したのは北千住駅に乗り入れている鉄道会社の社員など合わせておよそ100人です。駅の利用者がホームにいるときに首都直下地震が発生。電車が止まって帰宅できなくなったという想定で行われました。利用者が多い駅の中で実施する訓練はとても貴重です。
参加した鉄道会社で働く50代の男性は訓練が始まる前、「首都直下地震のような大災害はいつ起きるかわからないと思います。訓練に参加することで具体的な課題を見つけ、利用者の安全や安心のために対策を徹底したいです」と意気込みを話していました。

駅前に移転した大学が「一時滞在施設」に

訓練の会場となった北千住駅。JRや私鉄、地下鉄といった複数の路線が乗り入れる都内でも有数のターミナル駅です。足立区によりますと、12年前、2011年の東日本大震災の夜はおよそ3万人の帰宅困難者が駅やその周辺にいたということです。北千住駅前のロータリーにも人が溢れて危険な状態だったため、区は急遽、近くの小学校を開放して一時的に滞在してもらいました。当時、その状況を体験したり、同僚などから伝え聞いたりしていたという参加者たちは真剣な表情で訓練に臨んでいました。

その東日本大震災の教訓から帰宅困難者は歩いて帰宅せず、職場など被災した場所の近くで72時間滞在してもらうという一斉帰宅抑制の方針が打ち出されています。大勢が道路を歩いて帰宅すると人命救助の緊急車両などの通行の妨げとなるほか、余震などによる危険もあるからです。
また、たまたま外出中に被災して居場所がない帰宅困難者に向けては公共施設や民間の建物を一時滞在施設として開放し、そこで過ごしてもらう計画になっています。

今回の訓練で一時滞在施設として活用されたのは、東京電機大学の建物です。この大学は首都直下地震などの大災害のときに1300人の帰宅困難者を受け入れる協定を足立区と結んでいます。
駅を出て徒歩1分の場所にある大学の敷地は2万6000平方メートル余り。その広いキャンパスに5棟の建物が並んでいます。元は企業の社宅だった土地に移転し、2012年にオープンしました。東日本大震災のときにはまだ建設工事中だったということです。
次に起きるかもしれない大災害で北千住駅周辺が帰宅困難者で溢れた際には一時滞在先として期待されているのです。

大学への避難時の画像です。
大学に避難する参加者

訓練では、帰宅困難者役の参加者が北千住駅から歩いて東京電機大学の建物に避難。大学関係者も受け入れの手続きなどに携わりました。
大学は実際に大災害が起きたとき、受け入れがスムーズに行われるよう学生や教職員が残る建物、自宅が損壊するなどした地域住民を受け入れる建物、それに帰宅困難者が一時滞在する建物をそれぞれ振り分けて対応する計画です。

学校法人東京電機大学の佐藤龍常務理事・総務部長は「大学の教育、研究という役割は広く知られていることと思いますが、社会貢献のひとつである地域貢献も大きな役割だと考えています。その一環として一時滞在施設に活用してもらえればと考えました。また実際に公共交通機関が動かなくなった際にこのキャンパスにいる学生など7000人も帰宅困難者となってしまうので、地域に負担をかけないという点でも私たちの建物を一時滞在施設として活用し、協力をしなくてはいけないと考えています。食料の備蓄の他にも建物に非常用の発電機を設置するなどの備えをしており、多くの人の生命を守ることに役立てばと思います」と話していました。

デジタル技術を駆使 混乱を防げ

一時滞在施設を新たに確保することがハード面での対策とすると、ソフト面でもデジタル技術を活用して帰宅困難者対策が進化しているのが今回の訓練でうかがえました。訓練では帰宅困難者が近くの一時滞在施設に速やかに移動できるようスマートフォンを使った新しいシステムの実証実験も行われたのです。

スマートフォンを利用した訓練の様子を表した画像です。
スマートフォンを利用した訓練の様子

このシステムでは職場などの行き場がなく駅周辺に滞留した帰宅困難者がスマートフォンで位置情報を送信。すると画面には近くにある一時滞在施設の一覧が表示されるようになっています。地図や経路も表示され、初めて訪れた人でもどこに施設があるのか分かりやすくなっています。

いちじ滞在施設で登録を行う画像です。
一時滞在施設で登録を行う様子

また、一時滞在施設に到着した際にはスマートフォンで登録を行うことができます。訓練では受付のパソコンに到着した人たちの情報を入力する手順も確認していました。登録によって施設にどのくらいの人数が滞在しているか把握でき、その混雑情報がまだ一時滞在施設を探している帰宅困難者に発信され、混乱を防ぐことに役立てられます。

訓練では、スマートフォンに表示された画面を見ながら教え合う姿も見られました。実際に発生した場合、スマートフォンの扱いが苦手なお年寄りや、そもそもスマートフォンを持っていない人もいるかもしれません。近くにいる人が手助けしたり、情報を教えあったりといった人間同士のコミュニケーションも大切だと感じました。この「帰宅困難者対策オペレーションシステム」は東京都が独自に開発を進めており、都は今回の訓練の結果などを反映させたうえで、2024年度の完成を目指しているということです。

夏の訓練で見えた 暑さという難敵

この訓練は、帰宅困難者が首都圏でおよそ515万人にも上ったと言われている東日本大震災の教訓を受けて大震災と同じ季節に実施されてきましたが、今年は初めて8月に行われました。100年前、関東大震災が起きた季節とも重なります。
訓練は午前中に実施したものの、すでに強い日差しが照りつけ、気温も35度を超える厳しい暑さとなっていました。参加者には熱中症対策として水やうちわなどが配られましたが、それでは足りず首に巻くネッククーラーを装着している人もいました。
訓練に参加していた男性に「関東大震災の被災者も暑さの中、大変な思いをしたでしょうね」と尋ねると「きっと大変だったと思いますが、当時はこんなに暑くなかったのではないでしょうか。もし現代のこんな酷暑の日に首都直下地震が起きたらと思うと体力的にも心配です」と話していました。
タオルを頭にかけて日差しを避けながら参加していた40代の男性にバッグの中身を見せてもらいました。

訓練に参加された方のバッグの中身の画像です。
訓練に参加された方の持ち物

配られた水やうちわのほかに、あらかじめ用意していたという折りたたみ式の日傘が入っていました。
この男性は「日傘を使って日差しを避けようかと思いましたが、たくさんの人が集まる中で傘は広げにくく、帽子を持ってくればよかったと後悔しています」と汗を拭いながら話していました。
それを聞いて、ちょっとした外出にもバッグの中に携帯できる帽子を入れておくのは良いかもしれないと思いました。暑さ対策としてだけでなく、ヘルメットほどの効果はないかもしれませんが余震などで落下してくる小さな破片などから頭部を保護する役割も果たしてくれそうです。
帰宅困難者対策を担当している東京都総合防災部の西平倫治課長は、
「季節対策はもちろん考慮しなくてはいけませんが、帰宅困難者の方に適切な情報を提供して、安全な場所に誘導していくということを季節に関係なく、しっかり行なっていくことが大切だと考えています。訓練の内容は今後、分析して帰宅困難者対策に生かしていきたいと思います」と訓練の後、話していました。

地域に残る関東大震災の記録 その教訓も

今回、訓練の会場となった北千住。100年前の関東大震災ではどのような被災状況だったのか知りたくなり、ネットで街の歴史を調べていたところ、地元の足立区に関東大震災の貴重な資料が残されていることがわかりました。さっそく足立区役所に足を運び、その資料を見せてもらいました。

大震災に関する写真をまとめた資料の画像です。
大震災千住町写真帖

資料の名前は『大震災千住町写真帖』。当時の千住町、現在の北千住周辺の被災状況をまとめた写真集です。大震災の翌年発行され、足立区立郷土博物館(2025年3月まで改修工事で休館中)が所蔵しています。
関東大震災での千住町の被害は建物の全半壊が2000を超え、30人近くが亡くなったと伝わっています。『大震災千住町写真帖』にはその被害状況を示す写真が掲載されています。その中に現代の東京が巨大地震に襲われたときに北千住駅周辺が果たすことになる役割をうかがわせる記録も残されていました。こちらの写真です。

関東大震災に関する画像です。
大震災千住町写真帖の内容

道路を塞ぐように建てられている小屋のようなもの。実は被害が大きかった浅草方面から避難してきた人たちのために仮設住宅が作られ、滞在していたというのです。
ほかにも関東大震災の当日、寺の境内に天幕を張って仮事務所が作られ、地元の人たちが協力して避難してきた人たちに炊き出しを行ったことが記録されています。支援を受けた人はのべ2万2000人近くに上ったとのことです。
被害が大きかった地域からの避難なので、帰宅困難者とは事情が異なるかもしれませんが、東日本大震災のときに小学校を開放したエピソードと同じようなことが関東大震災でも起きていたのです。
東京の交通の要衝として重要な役割を果たしている北千住。おそらく首都直下地震でも多くの人たちを支えることになるのかもしれません。この『大震災千住町写真帖』を研究している足立区地域文化課の学芸員、佐藤貴浩さんは「このような過去の貴重な資料がこれからの地域の防災力をさらに高めるために生かされるとうれしいです」と話していました。

防災力強化が街の魅力、価値を高める

厳しい暑さの中、初めて夏に実施された帰宅困難者対策訓練。わざわざこの時期を選んだのは、関東大震災100年のタイミングに合わせたのではないか。取材を始めたとき、そんなことを考えていました。
しかし、今回、夏に実施されたのは全く別の理由からでした。
東京都や足立区の担当者への取材によれば、8月の実施を求めたのは足立区側で、その理由は一時滞在施設となる東京電機大学の参加が訓練には不可欠だというものでした。いつものように3月頃の実施となると大学は入試などの業務で忙しいため、学生などが少なくなる夏休み期間中を選んで実施したのです。首都直下地震で東京電機大学が果たす役割に期待が寄せられていることを感じました。

足立区は多くの若者などを呼び込んで地域を活性化させようと、大学の誘致に取り組んできました。これまでに6つの大学の誘致に成功。北千住駅があるエリアには、そのうち東京藝術大学など5つの大学がキャンパスや学習センターを開設しました。訓練会場となった東京電機大学もそのひとつです。こうした大学の誘致によって街に若者が増えるなど地域のイメージが変化。街の人気も高まっていると言われています。

そして、今回の訓練を通して見えたのは、誘致した大学によって街を活性化させるという経済的な側面だけでなく、多くの帰宅困難者などにも対応できる強靭な街づくりにも協力してもらうことで、さらに地域の価値を高めていきたいという足立区の姿勢です。
足立区の防災担当者は、「災害時に駅の近くに多くの人数を受け入れられる施設があるということは区としても安心感があり、とてもありがたいです。さらに今回のように訓練に参加して一緒に活動をしていただけると帰宅困難者の方々を守るために助け合う基本にもなります。こうして民間の協力も得ながら地域の防災力を上げていくことは安心・安全な街として魅力的になることにつながると考えています」と話していました。

毎年のように各地で災害が発生し、全国どこでも防災が喫緊の課題となっていると言っても過言ではありません。首都直下地震や南海トラフなどの巨大地震への関心も非常に高くなっています。また、都市部では帰宅困難者対策として一時滞在施設の確保とその効果的な運用が課題となっています。
街を開発をする際に地域住民の理解のもと防災の視点を積極的に取り入れ、さらに訓練などを通して行政と民間との連携を強めていく。その積み重ねによって災害に強い街を作っていく取り組みは、街の価値を高めていくためにもますます重要になっていると今回の取材を通して実感しました。

WRITER

ライター:
瀬戸 洋一

メディアで20年以上、記者として勤め、現在はフリーに。国内で起きた数々の災害現場を取材。困難に直面した被災者の方々を前に、どのように被災地の厳しい状況を多くの人に伝えることができるのかいつも悩みながら取材をしています。 学生時代、スールー海の島でボランティアで井戸を掘りました。自分の掘った井戸が人々の喉を潤しているのを想像することも日々の支えのひとつとなっています。

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